(8話) 「ねぇ、ノライヌはドコにいったのかなぁ」 クロちゃん、ノライヌはね… 「会えるよ」 「ノライヌに?」 「そう、クロちゃんの大好きな人が迎えにきてくれる日がきっと来るよ」 「信じるよ」 クロちゃんの背中を押して何時ものように帰り道 「クロちゃんねぇ…悲しくないの?」 「悲しいよ」 「キツくない?」 真っ赤な目の真っ白なウサギ。目の回りに黒いブチが入ったのが一羽いた。 僕が飼育委員で世話をする間、車椅子で押されてクロちゃんもついてきた。 「俺は何も出来ないね、いつものことだけど」 クロちゃんはウサギが好きで クロちゃんは人間より動物が好きで 好きで好きで ただ見ているだけだった。 「何も出来ないって…助けたかったって事?」 その学校で飼っていたウサギが野犬に襲われて死んだって先生に聞いたクロちゃんはショックをうけたはずだけど。 「うん。俺がお医者さんだったら助けられたかもしれないよ。」 大好きな真っ白なウサギが死んで、悲しいといっても泣きもしない。 嬉しいはずの時も笑いもしない。 「早く、会いたいな」 ただ空を仰いでいつも同じ事を呟く 月を指して夜にはお願いを叶えるために流れ星を捜して 「あそこにはパパはいないね」 真っ青な海が好きだと言っていた君が どうしてお月様に魅入られてしまったの? 波が揺れることもなく 暗闇に浮かぶ髑髏にも似た白い顔。 表情が変わらないところがクロちゃんに似てるの? ねぇ、月になったウサギのクロちゃん、教えて。 クロちゃんを誰が助けるの? 誰がクロちゃんを あそこに連れていってくれるの? 『ねぇ、痛い?』 オモイッキリ俺の腕を掴もうと出来るだけの力を振り絞り、少女は懇願した。 『無理するんじゃないよ』 『しにがみ先生もブラック・ジャック先生も同じ人間なんだよ! つねられたら痛いし、嬉しければ笑うの。』 『そうは思えないね』 『そんなことないもん。小百合と同じ種類の人間なんだよ。見たでしょ?先生傷があったよ。 無理してるのは先生だよ。』 確かに妙な傷があった。複数の注射痕に縛られたような跡。 いつもコートまでキッチリ着ているのでパッと見た目ではわからない。 まるで拷問をうけたような傷跡を庇うためだったのか。 『パパが言ってたよ。悲しければ泣くし嬉しければ笑うのが人だって。 心が表に出るのが子供で出さないのが大人だけど、 我慢して無理ばかり重ねると面の皮が厚くなっていつの間にか出せなくなるんだって。』 『…それは私に言ってるみたいに聞こえるな』 『あたしはまだまだ子供だからパパの言葉がよく分かんない。 でも先生なら分かるんじゃない?!』 こうして涙ながらに説得をした少女の気迫に根気負けした俺は、ブラック・ジャックの後を初めて追った。 勿論奴のためではなく少女のために。 「待て!ブラック・ジャック!!」 「フフフフ…」 俺が事情を説明すると、ブラック・ジャックは鼻で笑った。 「で、そんな子供の言う事を信じたのか? 随分と甘いんだな死神は。」 軋むように歪む不気味な赤い目ががそこにあった。 -00:08 死神と悪魔 もう廊下にはいなかった。 だが、シャワーを浴びる暇も無かったのだろう。 ごまかす為に頭から被ったのかと思うほどキツイ香水の匂いがしていた。 それを追っていくのは容易だった。 程なくして俺は、院長の仮眠室に辿り着いた。 「話がある、ブラック・ジャック、表へ出ろ!」 すると、中から二人は出て来た。無論奴はリボンタイを直しながら。 「邪魔をされたらかないませんな、場所を変えましょう先生。」 「ええ。ただしこの病院に近いところで」 外科部長は、車を用意するからと先に行った。 「言っただろう?『仕事だ』ってな。」 少女に引き止められたあの時に不意に揺れた赤い目。 ひょっとしたら患者を人質にされて、 嫌々言う事をきいているのかも知れないと一瞬だがその時まで思っていた。 「いい稼ぎになるんだ…オペ代の倍はいったぜ。」 文字通りに気分が良い感じでなんなく言ってのける。 「どこまで腐ってるんだお前は。」 「死臭くさい死神に言われる筋合いはないね。プライベートに立ち入るな」 「ああ、気色悪そうだから出来る限りそうしたいぜ」 いつも通りの言い合いになってしまい駐車場まで縺れ込んだ俺達だったが、 ブラック・ジャックは面倒臭そうに、胸元からメスを取り出した 「俺の事なんてどうでもいいんだろ?引け、死神。」 「そうだな、この際だからハッキリ言うがお前がウリをやろうが無関心だよ。 ただ、あの少女には悟られないようにしろ」 「…心掛けておく」 去り際に窓を空けてこちらを睨み付けて極め付けに奴は吐き捨てた。 「死神の化身か…お前なんか早く死ね! 貴様さえいなければ患者が助かるからな…目障りなんだよ。」 俺は冷静な方だがこの時ばかりはカッときて、 無意識に手が窓の隙間から奴のリボンタイを掴んでいた。 シュッ! 「触るな、汚れる。」 ブラック・ジャックの行動に少しも迷いはなかった。 「警告したはずだ」 手早く胸元からメスをとりだすとためらう事なく俺の手の甲を引き裂いた。 「殺してやりたいってな」 「…悪魔か」 ああ、そうだ、ブラック・ジャックの目は何かに似てると思っていたが。 死神と悪魔。 この時、お前も同じく地獄の住人だったと確心した お前のような人間はこの世界には不釣り合いで不必要な種類だと 闇に身を染めてこそどす黒い血液が真紅を帯びるのだと フシダラに堕落しきって人間が触れるとそこから腐らせていくのだと 『君は…二度と会ってはいけない。君の人生が無茶苦茶になるんだ』 『君が死ぬようなめにあう時がきたなら…のせいだ』 『君が不幸になるなら…と共に生きることだ』 かつてこんな台詞をきいた事がふと思い出された。 俺はその一部を入れ替えて復唱してみたら、それがピタリと当て嵌まるように思えた。 「俺はブラック・ジャックに二度と会ってはいけない。俺の人生が無茶苦茶になるんだ」 「俺が死ぬようなめにあう時がきたならブラック・ジャックのせいだ」 「俺が不幸になるならブラック・ジャックと共に生きることだ」 「小百合ちゃんが泣く事はないだろ?」 「ヒッ…し…にがみ先生ご…めんなさい…ううっ…」 ごまかそうとしたが、この窓から下の駐車場が見えていたようだ。 ブラック・ジャックの取り出したメスが太陽を反射して、キラッと光って見えたそうだ。 「たいした事ないから。」 鮮血が飛び散り、白い高級車を濡らしたことやそのコントラストの素晴らしさまでは 見えていないようでよかったが。 「小百合が変な…お願いしたせいでっ…つぅ…」 「ブラック・ジャックが心配だったんだろ?変なお願いじゃないよ。優しいんだな小百合ちゃんは」 「パパもブラック・ジャック先生は危ないから近付いちゃいけないって言ってた けど…小百合を助けてくれて…うう」 命を救ったとはいえアブノーマルな世界に子供を近づけたがる親はいないだろう。 「そう。俺も危険な死神だよ。」 『死神の化身』…なおさら俺は絶対にお断りだろう。 「こんなに優しいのに…ッ…ぅうっ」 「褒めてくれなくていいから泣かないで、お願い」 「うぅ…うう!!ごめ…うぅっ」 逆効果だったみたいだ。 溢れる涙は止まる気配はいっこうにない。ごめんなさいをくり返しては泣いてしまう。 こうやって悪徳無免許医のことも、そして俺のような死神の化身すら 身を案じては無茶苦茶な行動に出て、心に留めてくれる。 世界がどんなに広くても、このコぐらいだろうと思った。 その涙はどんな宝石よりも輝いて美しかった。 「じゃあ、ご褒美くれるんだね?」 何とか元気づけようとすると、少女は何やら枕の下からゴソゴソ取り出した。 真っ赤になった目を拭いながら 「えへへっ…小百合ぐらいしか…宝物って思わないかも…しれないけ…どっ」 「宝物くれるの…プリクラ?」 「う〜ん。ちょっと違うかな。とっておきなんだから。 しにがみ先生に持っててほしいなって」 少女はある古い写真を見せてくれた。 「あたしね、将来カメラマンになるのが本当は夢だったんだ。 それでね、この写真が目標なの」 それは一見するとよくありがちな家族の写真だった。 年月のせいか青いはずの空は端のほうから黄ばんでエメラルドグリーンだ。 全体的に青紫がかってみえる。日付けはおおよそ20年前だ 「ほら…ピンボケしちゃってるけど…よ〜くみて先生。」 「…この写真!どこで手に入れた!?」 「え?」 「どこで、誰からいつ貰ったんだ!!?」 「あ…えっと」 「答えてくれ!!」 黄昏れが港町を包み込む。 私達は護岸を歩いていた。 船のシルエットがセピアに揺れて、不思議な造形を描き出している。 時たま汽笛が聞こえ、船の描く波紋は波間に消えてゆく。 「海、好きだろう? ブラック・ジャックは昔、船乗りになるんだと言ってたんだよ」 「嫌いではないわ…昔、カゲミツとよく一緒に来たわ」 「影三おじさんの話かい?聞かせてくれよ」 「そうね…」 『はい、カゲミツのぶんも』 『ありがとう』 組織のある場所もまた海に程近いところだった。 カゲミツは私に「ソフトクリームを食べさせてあげるよ」と、しばしば港に連れ出した。 カゲミツは何をするでもなく、海を一日中でも眺めていた。 そういえばどうしてか理由を聞いたことがある。 『この海の向こうにね、大切な人がいるんだ。』 『会えないの?』 『そうだよ。絶対に会ってはダメなんだ』 カゲミツは意志の篭った強い口調で言い切った。 でも顔には「会いたい」って書いてあるみたいに見えた。 『でもね、その人が夢を叶えたらね ここにある船のどれかに乗ってるかもしれないなって』 『ふーん。いつになるかわからないのに、まってるの?』 思わず小首を傾げただろう。子供の私にはとっても不思議な事に思えた。 『…ねぇ、君はパパに会いたくはない?』 『ううん。すてたんだからぜったい会いたくない! それに、カゲミツがいるからいいよ』 『…そう。』 その時ほど複雑な笑顔を見たことはなかった。 『だいじょうぶ?』 カゲミツを覗き込むと 今にも泣きそうで しばらく私にもたれかかっていた。 ちょっぴり重くて、熱かったのをよく覚えている。 『たった一目でいいんだ。一目でいい…』 それから十数年経つけれど、未だにカゲミツは暇さえあれば海を見ていた。 会えない人を想って 好きで好きで ただみているだけだった 「そう…初耳だな。…お前は愛されていたんだよ」 死神もまた複雑な顔をしていた。 「それに気付いていれば、もっと穏やかな目をしていられたかもしれない。 歪みは無かったかもしれないな」 「で、私の話はいいから、そこに何が写っていた訳?」 私は気になる続きに話を戻した 「そこには、俺の会いたい人が写ってた」 次頁