(7)  
 ことん。何かがぶつかる音。
 その音に気づいて、ジョルジュは顔を挙げた。ああ、居眠りしていたのかと、自分の状況に気づく。
「珍しいですね」近いところから声が聞こえた。「今日は残業ですか?」
「……影三…?」
横を向くと、彼が立っていた。窓の外は闇に落ちて、なにも見えない。
「君こそ、何しているんだ」
「…俺は…」影三は視線を泳がせて「忘れ物を取りに」
「午前3時にか」
ポケットに入れてある腕時計を見ながら言うと、彼は、「あはは」と笑って見せた。
屈託ない笑顔。そうだ、君はそんな表情をよくしていたじゃないか。
その笑顔に胸が詰まる。
「まあまあ、コーヒーでも飲みませんか?」
誤魔化すように、彼はジョルジュの腕をとった。「休憩、休憩」
「……そうしよう」
 小さく笑って立ち上がろうとした時に、がたんと体が大きく揺れた。
 気づくと、一人だった。
 静まり返った、研究室。
 一瞬、混乱したが、すぐに状況を把握して、大きく息を吐いた。
 夢を、見たのだ。
 あれは、まだ彼が学生だった頃。昔から研究の虫だった彼は、よく大学院に泊まりこんで研究に没頭していた。
それを引きずるように自室へ帰し、無理矢理、食事と睡眠をとらせたものだった。
 ひやりと、体が冷える。
 額に手をやると、冷たい汗をかいていた。襟首も汗だろうか、濡れて気持ち悪い。
 夢とはいえ、なんて辛辣な。
 今のジョルジュには、これ以上にない責め苦となる。
 二度と戻れない、過去。
 軽く頭を振ると、ジョルジュはすでにスタンバイ状態になったPCを立ち上げた。ブン…と低い独特の起動音が響き、眼に悪そうな明るさでモニターが白く光りだす。
 画面は、様様な数値や組成式で埋め尽くされていた。
 それらは、影三が作り出した洗脳薬の詳細。


 エドワード、君は誰も救えない


 不意に蘇る全満徳の言葉に、吐き気がこみ上げる。
 そうだ、私は誰も救えない。
 大切な人間を守りたくても、傷つけてばかりだった。
 最期まで私を信じ、そして逝ってしまった妻。
 心の傷に気づかなかったばかりか、戦場という殺戮の場へ行かせてしまった、息子。
 淋しい思いばかりをさせてしまった、娘。
 そして…。
「…考えるな、冷静になれ」
 あえて口に出して、言葉を紡ぐ。
 過去に捕らわれてはいけない。捕らわれたままでは、何処にも進むことはできないのだから。
 救えなかったのなら、今、彼を助けるのだ。
 必ず、彼を助けよう。
 必ず、君を、私の手で。

 そして、私は---------





罪の名をつけるとするならば
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