18禁
※性暴力描写があります。苦手な方はご注意を!
これは二次創作上の表現です。これらの行為を助長、推奨を目的にしておりませんので、ご理解の程をよろしくお願い致します。  




(10話)





「はい、大丈夫よ、えらかったわね」
 涙目で頷く幼児の頭を、メアリはくしゃくしゃと撫でた。
 使用した注射器をケースにしまい、もう一度その幼い体にステートを当てる。
「なおる?」
不安そうに尋ねる幼児に、メアリは「勿論!」と笑って答えた。「金曜日には、みんなとスノーマンが作れるわよ」
「よかったあ」
 幼児は真っ赤な顔で、笑って見せた。
 メアリの背後で、幼児の母親がホッとしたように、息を吐く。
「ママ」
 ひょっこりと、ドアからメアリの息子であるキリコが、顔を覗かした。
「車の電話が鳴ってるって」







Chapter 2-永 訣-









 車載電話を受けにいったメアリは、青い顔で戻ってきた。
 そして、上着を着ながら、口早に告げる。
「ごめんなさい、サリー。急用が出来たの。ちょっと2時間ほど出てくるから、キリコをお願い」
「え、ええ」幼児の母親は頷いて「どうかしたの?」
「ちょっと、エディに呼ばれたから」
「パパ?パパがどうしたの?」
父親の名前に、キリコは敏感に反応して、尋ねてくる。
メアリは曖昧に「大丈夫よ」と答え、キリコの頭をそっと撫でた。「キリコはサリーが休んでいる間、ロイの様子観察をしてて。
急変したら、ママに知らせるの。出来るわね」
「うん」
母親の言いつけに、キリコは頷いた。
もう半年も会っていないパパに、本当は会いたいだろう。
だが、少年はそんなことは口にしない。
両親を困らせることを、少年は決してしなかった。
 バタバタと出て行くメアリを、キリコは笑顔で見送った。
 そして、高熱の看病で徹夜続きのサリーに「僕が見ているから、サリーは眠って」と、告げる。
「僕がみてる。大丈夫、ママと一緒に往診とか行って、どういう状態になったら危険か、分かってるから」
「そう」サリーは、安心したように笑って「じゃあ、2時間だけ…もう少しでダニエルが帰ってくるから、ごめんなさいね、キリコ」
「ううん、休める時に、休んで」
 彼女はすまなそうにしながらも、ソファーの上で、すぐに眠りに落ちた。
 子どもの寝室を覗くと、ロイも安らかに眠っている。
 暫くは、大丈夫だろう。
 キリコはソファーの前の床に座って、自分の鞄から学校の教科書を出して捲った。
 算数の教科書だった。
 捲っても、捲っても、全然、頭には入ってこない。
 「エディに呼ばれたの」
 そう告げる母の声が耳に残り、集中できない。
 ふと、捲くる手が止まった。
 その頁には、小さな数式が書かれていた。
 それは、パパの字だった。
 この問題が分からないと聞きに行った時に、パパが書いたものだった。
 ふと、その時の会話を思い出す。
”パパ、その数式、まだ習ってないよ”
”え…じゃあ、地道に解くのか?…面倒だから、これで解いたらどうだ”
”それだと、カンニングみたいなものでしょ”
”やっぱり、だめか?…参ったな…”
 困ったようなパパの顔を思い出す。
 もう、半年、パパと会っていなかった。
 半年前、パパはキリコの頭を撫でながら、真っ直ぐに見詰め、そして言ったのだ。
”キリコ…パパはある人の治療をしに行くから、暫くは戻らない。ママと留守を頼むよ”
 とても、辛そうな表情だった。そんな顔をするパパは見たことがなかった。
 だから、分かった。
”パパの大事な人なんだね”キリコは言った。パパを真っ直ぐに見詰めて。
だが、パパは僅かに顔を背けて、そして答える。
”……………そう、なんだ。……ごめんな、キリコ”
 パパは医師だ。
 研究が主な仕事でも、パパは医師なのだ。
 パパとママは、頼まれれば往診に出る。
 この辺には、ファミリードクターがいない。
 パパもママも、ファミリードクターではないけど、でも、手遅れにならないようにと、どこにでも往診にいった。
 だから。
 大切な人の治療。パパは医師だ。だから、当然だと思う。
 淋しくたって、我慢しよう。誰かがそれで、治るのなら。
 だって、困らせたくない。
 大好きなパパを困らせたくは、なかったから。
 ぽたり。
 教科書の上に、涙が落ちた。
「あ、れ」
 慌てて拭うが、ポタポタと涙があとからあとから溢れてくる。
 しゃっくりが止まらず、涙も止まらない。
 違う、違う、我慢しよう。そう思うのに、涙が止まらない。
「キリコ?」
 男の声。名前を呼ばれて、弾かれた様に、キリコは顔をあげた。「あ…」
「大丈夫?」
 名前を呼んだのは、ロイの父親のダニエルだった。仕事から帰ってきたのだ。
「大丈夫」
キリコは涙を拭って、ロイの病状とサリーが眠っている旨と、自分がここにいる理由を簡潔に説明した。
ダニエルはそれに納得し「そうか、キリコ、ごくろうさん」とポンポンと頭を撫でた。
「ダニエル、僕、ジュース買って来るね」
「ああ、気をつけてな」
 コートを着込み、帽子とマフラーと手袋を嵌めてキリコは外へ出た。
 晒された肌に外気が突き刺さる。乾いた寒さだった。
 もう陽も沈み、空は黒く、地面は雪で真っ白だった。
 パパは大丈夫だろうか。
 そう思いながら、街外れのショップに向かう途中だった。
 町で一番大きな道沿い。
 大きなトラックの助手席から、誰かが降りるのがみえた。
 降りてきた人物が頭を下げると、トラックはその人を残していってしまった。
 ヒッチハイクだろうか。
 それにしては、荷物を持っていない。手ぶらだった。
 なんだか奇妙な違和感だった。
 それは、白黒のフィルムに一滴だけ落とされた色の雫のような。
 それは、白銀のゲレンデの上に垂れた赤黒い血液のような。
 その人物は、肩で息をしていた。
 白い息がその人の周りを、白く彩る。
 その白い息の多さが、その人の呼吸の乱れを目にうつした。
 時々、胸を押さえている。
 遠目にでも分かるぐらいに、その人物は苦しそうだった。
 大丈夫だろうか。
 その人を眺めながら、キリコは思っていた。
 喘息みたいだ。もしかしたら、具合が悪いんじゃないだろうか。
 キリコが見ている事に気づいていないのか、その人物は、いやにゆっくりとした足取りで、山へと向かって歩きはじめた。
 ショップの向こうは、もう山だった。
 暗い暗い山へ、こんな時間に行くなんて、山小屋の人だろうか。
 その人は、ゆっくりと歩いていたが、酷く足取りが危なっかしい。
 何度かよろけるのをみて、キリコは思わず、叫びながら駆け寄っていた。
「大丈夫ですか!」
 突然の出来事に、その人は驚いたようにキリコを見た。
「きいちゃんッ!?」
「え…」
 キリコは驚いて、その人を見た。
 呼びなれない…いや、そう呼ぶ人間は限られている。
 ウィンドウブレーカーのファスナーを一番上まであげて、襟で口元を覆っている。
 フードを被っているその人の人相は正確には分からない。
 だけど、フードから覗く前髪は、このへんでは珍しい黒色で、肌も色がついている。
何よりその目元と眼の色が、オトモダチをすぐに連想させた。
「くぉちゃんの…おとうさん?」
「あ、ごめん。人違いだ」
 彼はそう弁明して踵をかえす。
「おじさんでしょう?」慌てて、キリコはウィンドウブレーカーの裾を掴んで「もしかして、パパの患者さんって、おじさん?おじさん、治ったの?」
「…そうだよ…」
 ゆっくりと、彼は振り向いた。そして、キリコの目線にあわすために、膝を折る。
「きいちゃんのパパのおかげで、おじさんは治ったよ。だから、きいちゃんのパパは帰ってくるよ」
「…本当に?」
「本当だよ」彼は言った。「きいちゃん、パパを貸してくれてありがとう。お陰で、おじさん、元気になったから。だから、ごめんね、
長い時間、パパを借りて。おじさん、もう、帰るから」
「嘘だ」
 キリコは、父親そっくりの碧眼で見詰めながら「おじさん、まだ具合悪そうだよ。まだ、治ってないんでしょう?」
 彼の言葉には、違和感があった。
 明確には分からない。だけど、胸をざわつくこの感覚が、キリコの不安を煽っていた。
 どうして、どうして、おじさんは嘘をつくんだろう。
 嘘だという確証などだかったが、キリコは思ったことを口にしていた。
 おじさんは、目を伏せると、言葉を探すように、ゆっくりと答える。
「…ああ、そうだよ。本当は、大きな病院に転院するんだ」
 まただ。
「嘘だよ」キリコは言った。「ねえ、おじさん、どうしたの?どうして、そんな泣きそうな顔をしてるの」
 どうして、嘘をつくの。
 そう尋ねたかった。だが、それを聞いてはいけないのだ、とどこかで思っていた。
 そしてまた、影三も、少年の言葉に、胸が詰まった。
 そして、視線を落として俯いてしまう。
「おじさんは、行くところがあるんだ」俯いたまま、彼は言った。「おじさんは、おじさんの奥さんのところに行きたいんだ。…いや、
行けないかもしれないんだけど、でも、行かないといけないんだ」
「くぉちゃんは、お留守番?」
「え?」
「くぉちゃんは、一人でお留守番?」
「…あ…」
 少年の言葉に、凍りついた。
 少年の言葉に、時が止まったかのようだった。
「そう…」彼は絞りだすように答える。「黒男は、一人で…留守番だ…」
「淋しいよ、くぉちゃん」
「そうだね」
「一緒じゃだめなの?」
「だめ、なんだ」
 言葉が震える。少年の言葉に、全身が震える。
 子ども特有の、残酷な真実を言い当てられて、ひどく動揺していた。
「じゃあ、行くのを止めるのは、だめなの?」
 少年は聞いてくる。エドワードにそっくりな碧い眼で。
「だめ、なんだ」影三は言った。「もう、誰も傷つけたくないんだ。おじさんの大切な人を、失いたくないんだ」
 失いたくなかった。もう二度と、なにもかも。
 失うぐらいなら、生きてなどいたくなかった。
 生きて、誰かを傷つけるぐらいなら、生きてなどいたくなかった。
 妻と息子。その最も自分が愛した人間を、傷つけ、失ってしまった。
 傷つけたのだ。
 自分のせいで、愛する家族を。
 肌に触れる外気は冷徹で、突き刺さるかのような冷気が凶器のように痛かった。
 ほんの少し息を漏らしただけで、それは真っ白なそれへと変わる。
 空気ではなく、まるで煙そのものを吐き出しているかのようだった。
 指先の感覚はすでになかった。
 足の爪先は冷たさで、ジンジン痛み、いまにも崩れ落ちそうなほど。
 寒さは、まるで牙を剥く、目に映ることのない野獣のように、身を裂いていくようだった。
 まるでこの氷結そのものから生まれ出でた、妖精のようだと、思った。
 純粋で、清潔で、清廉で、濁りなど一つも無い、透明なこの空気のようだ、と。
「おじさん」澄んだ声。この少年に相応しい、発声だ。「一緒に行こう。パパがきっと探してる」
「…そうだね」
 差し出される、その幼い手を握ることを、躊躇した。
 だって、俺は穢れている。
 不純で、醜悪で、卑猥で、醜猥なこの自身で、この曇りない少年を、汚してしまう。
「おじさん?」
 そうだ、俺はもう、人ではない。
 ゆっくりと、影三は立ち上がった。
 「おじさんは、行くところがあるから。お父さんによろしくね」
 目の前の少年に、そう告げる。
 その碧眼が、彼の父親にそっくりで、辛かった。
 でも、行かないわけにはいかなかった。
 身を隠し、行方をくらませる必要があった。
 できるなら、どこか人知れぬ谷などがいい。
 遺体が見つかることの無い、どこか奥のほうへ。
「ダメだよ!」
それなのに、少年は手を離さなかった。不安そうに表情を歪めて、必死に訴える。
「おじさん、ちょっとでいいから、ねえ、ホットミルク作ってあげるから!」
 温かい幼い手。自分を引きとめようと必死な少年。
 その総てに何かが、崩れそうだった。
 何かが、崩れて。何かが、つなぎとめられて。何かが、這い出てきそうな。
「寒いから、ね、おじさん!」
 その碧眼は綺麗に潤んでいた。綺麗な綺麗な、まるで湖の奥底で揺らめく、一握りの光のようで。
 ああ、この子は。
 本当に大事にしてきたのだ。彼が、エドワードが、大切に、大切に育ててきたのだと、よく分かる。
 その幼い手が…。


 不意に、大人の手に見えた


「!」
 幼い手が、大人の手にみえた。それは大きく、厚く、総ての指に豪華な石のついた指輪をはめた、手。
”どこへ、行く気だ”
声が、響く。直接、耳の奥にぶちこまれたかのような、忌わしい声。
”どこへ、行く気だ”もう一度、声が問う。”お前は、飼われる種類の人間だ。家畜と同じで、好事家の下にいて初めて価値がでる”
「…やめろ…」
”お前は人間の皮を被った、ただの獣と一緒だろう?私に喰われ、交わり、歓んでいるのだから”
「……俺は…」
”そしてお前は、エドワードを食い散らし、貶めようとしている。エドワードにしがみつき、共に堕ちるつもりだろう?”
「…違う…俺は……俺は…」
”奴の優しさにつけこみ、貪り食う。あの男はお前に惚れているから、利用しやすい。お前は卑しい、”

”お前は、人間ではない”

 響く声が現実に聞こえる。それが幻聴であることに、最早、気づけなかった。
 それは自分のう内にあった、思い。
 目を背けていたかった、真実。


”みおは、男に歓ぶお前を、どう思う”


 突然、おじさんは少年の手を振り払った。
 怯えたように瞳を歪めるその姿は、キリコの目からみえても、明らかにおかしいと思った。
「おじさん…?」
「来るなッ!」
 手を伸ばそうとしたとき、おじさんが叫ぶ。その大声にびくりと少年は肩を震わせた。
「…きいちゃん…もしかして、まだ、いる…かな」
 震えながら、おじさんはあたりを見回しながら、呼ぶ。
目の前にいるのに、まったく、見えていないのか。
「きいちゃん…ごめんね…」定かではない視線の中で、おじさんは言葉を紡ぐ「おじさん…普通じゃないんだ…きいちゃんを傷つけるかもしれないから、だから、すぐに帰りなさい」
「おじさん」
「きいちゃん、ありがとう、本当にありがとう…」
 おじさんは笑った。淋しそうに、哀しそうに。
 そして、、山へ歩いていった。まるで憑り付かれているかのように、
 迷いなく、まっすぐに。
 その姿を、キリコは眺めていた。
 声をかけることができなかった。
 普通じゃない。そう、言っていた。
 確かに、途中から、まるで麻薬使用者のように、言葉がおかしくなっていった。
 苦しそうだった。辛そうだった。
 だけど、今、自分が触れることは、もっと苦しませる、そう思った。
 いつの間にか、雪が降り始めていた。
 その白い紗幕はすぐに視界を奪い、白一色へと。
「キリコ!」
名前を呼ばれて、ふりかえる。そこには、ダニエルが息を切らして駆け寄ってきた。
「遅いから、心配したぞ」
無事なのを確認して、ダニエルは安堵したような笑顔を浮かべる。
「…電話を貸して!」
叫びながら、キリコは駆け出した。「ママに、電話する!」
「え?どうした、淋しくなったのか?」
 ママに知らせないといけない。
 キリコは、一目散に駆け出した。手遅れに、手遅れにならないうちに。






 息を切らしても、足だけは歩調を緩めずに歩きつづける。
 急がなければ。急がないと。
 身体の感覚が、少しずつ、確実に奪われていった。
 この身体が動かなくなる前に。隠さなければ。
 ただ、それだけを考えて、影三は歩んでいる。
 早くいそがなければ。







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