(14話)





「止めると、思っていたんでしょう」
 彼女のその言葉に、ぎくりと心臓が凍りつく。
 なんて的を得た、正確な言葉なのだろう。
 その言葉と同じように、彼女の眼光は俺を射抜く。
 ああ、俺はこの女性にも一生敵う訳がない





Chapter 2-平 常-






 最後のネジを止めて、影三は、ミニ四駆と呼ばれる玩具を手渡した。
 手渡された少年は、恐る恐るスイッチを入れる。
 きゅるるるる。
 小さなモーター音と共に、タイヤが勢いよく回りだすのを見て、少年は歓声をあげた。
「すげえ!おじさん!ありがとう!」
「どういたしまして」
 少年が行くと、その後にいた少年が、別のおもちゃを出す。
「電池を入れ替えても、動かないんだ」
「どれどれ」
 器用な手つきでネジをはずし、故障原因を探る。
 それは、最近になってジョルジュ家で日曜日に繰り広げられる光景だった。
 どんな壊れた玩具でも直してくれる人がいる。
 噂が噂を呼び、影三はいつの間にか”ドクタージョルジュのとこのおもちゃドクター”と呼ばれていた。
 もともと、人工臓器の開発を独自でしていた男だ。
 おもちゃの修理ぐらい、簡単なものなのだろう。
 コーヒーを啜りながら、ジョルジュはその光景を眺めていた。
 子ども達に囲まれて、おもちゃを直すそれは、とても穏やかで、とても安らいだものに思える。
 そう、彼にだってそんな生活を送る権利ぐらい、ある筈なのに。
「お似合いよねえ」
 マグカップを持って、メアリがジョルジュの隣に座る。
 そして、やはりその光景を眺めながら「…あの横にみおがいて、黒男クンがいたって、不思議じゃないのにね」
 そして、マグカップのコーヒーを彼女はすする。
 その言葉は、痛いほどよく分かる。
 その選択肢だって、あったはずだったのに。
 いや、それは、彼が手に入れた筈だったもの。
「ドクター!ありがとう!」
 舌たらずの言葉で、少女がお礼を言う。
 釣られて笑う彼は、優しげで、淋しげだ。
 彼は、心から笑うことは、無理かもしれない。
 でも、そんな穏やかな表情をしてほしい。
 傷つけられることなく、怯えることなく、君がそんな表情をしていられるのなら…。
「いいのよ」
「え?」
「エディ、そうするべきよ」彼女は言った。口元に笑みを浮かべながら「影三クンを守りたいなら、とことん戦いなさいよ。かっさらって逃げるなり、正面からやり合うなりして」
とん。彼女は軽く、拳をジョルジュの胸に打ちつけた。
「私は、止めないわよ」
 真っ直ぐな眼光。真っ直ぐな、言葉。
「…メアリ…」
「影三クンは、私たちの家族よ。そうでしょう?」
 するりと、事も無げに彼女は言った。
 その言葉に胸が詰まる。
 彼女も、嘗ては例のプロジェクトに参加していた。
 全満徳の異常性や残酷さを、肌で感じたことさえあった。
 それでも、彼女は立ち向かうことを、許してくれるのか。
「ありがとう」言葉が、素直に出る。「君が、私の妻で、本当に感謝しているよ」
「当然でしょう」彼女は笑って言った。「こんな素敵な女性、他にいないわよ」
「ああ、最高だよ」
 笑顔で心からの言葉を、贈る。彼女はらしくなく真っ赤に頬を染めて「当然よ!」と言って見せた。
 そんな、たまにみせる照れる仕草が、愛らしいと思う。
 本当に、掛け替えのない、女性だと思う。




 



「止めると、思っていたんでしょう」
 山から帰還し、メアリから告げられた言葉に、影三は心の奥底を見透かされたような気がした。
 いや、実際に見透かされたのだろう。
「止めるわけ、ないでしょう!」
むんず。メアリは影三の両頬を摘み、外側へと強くひっぱる。
「い、いたひ!いたひ〜」
「エディはね」
情けない声をあげる影三に、彼女は語気を強める。「影三クンがいないと、生きていけないの!わかる?
あなたの命はあなただけのものじゃない。エディは影三クンの心臓が止まったら、自分の心臓を移植してでも、助けるわよ」
「れ、れも…」
「逃げないの!」ぐい。指先に更に力が篭る。「エディは、ずっと、ずっと、私に会う前から影三クンを大切にしてきた!
愛してきたのよ。私じゃ影三クンの代わりにはならないの!あなたじゃないと、駄目なのよ!」
「め、めあいさ…」
「分かった?」
「れも…」
「返事はッ!」
「あ、あい!」
「よろしい」
 パッとメアリは指を離す。影三の頬は真っ赤に腫れ上がり、ジンジンと鈍い痛みが。
 思わず手の平で頬を押さえ込む影三の頭を、彼女はゴツン!と打つ。
「分かりましたってば!」
半分涙目の影三は、子どものように叫ぶ。
「まったく」ガシっと、彼女はその頭を鷲づかみにして揺さぶった。「頭良すぎるのよ、あんたたちは!少しは脳細胞破壊して、凡人並みになりなさい!」
「ひぃ〜」
 すっかり目が回りかけた時、急に柔らかく抱きしめられた。
「へ?」
突然の抱擁に、影三は耳まで真っ赤になって硬直する。「めありサン?」
彼女は、ぽんぽん、と背中を優しく優しく叩いていた。
まるで母親が子どもにそうするように、彼女にしては、珍しく。
 怖くて、乱暴で、きつくて、鋭くて、厳しくて。
 でも、誰よりも優しくて、誰よりも愛情深い。
 帰還した時、警備隊の家族が抱擁しあう中、ジョルジュは「ただいま」とメアリに言った。
 そしてメアリは「おかえり」と返す。
 それは、ただのごく普通の挨拶だった。
 他の人間に比べれば、あっさりとしたもののように見える。
 でも、その時の二人の表情が印象的だった。
 綺麗だと思った。少ない言葉と、その表情に二人だけの絆のようなものを感じる。
 それは、何者にも断ち切ることのできない、強固で、確かなものに。
 ああ、夫婦なんだ。
 そう思った。自分がみおとそうであったように、エドワードにも自分の知らない、時間があったのだ、と。
 言葉も行動も少し厳しい彼女だが、でも、彼女は気持ちにとても敏感だった。
「よく、帰ってきて、くれたわね」
 優しく彼女は囁いた。
 その言葉に、胸が酷く痛んだ。ああ、俺は、俺の涙腺はイカレてしまったのだろうか。
 零れる涙を止めることができなかった。
 


「おじさん、大丈夫?」
少年の声に影三は我に返る。「ああ、きいちゃん。おかげさまで、元気だよ」
「まったく」少年は腰に手を当てて「駄目だよ、途中で治療放棄したら。治るものも治らないよ」
「そうだね。ごめん」
素直に影三は謝った。メアリ曰く、今回の事は”おじさんはパパの治療が怖くて逃げ出した”と告げたらしい。
決して怖かったわけではないが、メアリには逆らえず、結局その理由で通している。
「パパはお医者さんなんだから、さ」
真っ直ぐに、キリコは見詰めながら、はっきりと言った。「患者さんを治すことが、仕事なんだよ。僕はパパを尊敬してるんだ。
だから、その為だったら、僕は平気だよ」
「きいちゃん」
「だから、治るまでパパのところに入院して。おじさん、約束だよ」
「…うん…ありがとう、きいちゃん」










 山からの帰還後の事情聴取も終わり、影三を車に乗せると、彼はすぐに眠りについた。
 無理しすぎだ。そう、思いながらも、そう思える現実がいとおしいと思う。
「じゃあ、メアリ、色々とありがとう」
「まったくだわ」
 ため息混じりに答える彼女の表情は、笑顔だった。
 ジョルジュは、妻の頬に軽くキスすると、そのまま強く抱きしめる。
「エディ?」
少し驚いたような妻の声に、小さく笑った。自信家の妻。彼女の、そんな声を聞ける事のは、滅多にない。
「ありがとう」もう一度、ジョルジュは告げる。「愛してる。キリコを頼むよ」
 言葉と共に、彼の唇が柔らかく重なる。
 何度か角度を変えて深まる口づけに、暫く、離れることができない。
「エディ、いってらっしゃい」
それでも、送り出してくれるのは、彼女の方だった。「気をつけて。必ず、かえってくるのよ」
「ああ」ジョルジュは告げる。「行って来るよ、」
 茶化すように言って、彼は車に乗り込んだ。
 決心が鈍らないうちに。  






 



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