(17話)





トントントントン…

影三は重苦しい話を紛らわすようにデタラメに肩を叩きながら
私に小さく話しかけた

「エド…実は俺…夢を見たんです」

「夢?」

「俺がキリコ君を…撃つ夢です
…エドの部屋に何故かキリコ君がいて
…薬に侵されて…俺は」
「影三?」
「俺は自分がしたことがわからないんです」

「ただの悪夢さ。そんなことは有り得ないよ」

この時私は知らなかった


遥か太平洋の向こう側で黒男クンが

息子の無事を祈り続けていたことを…


息子が組織のすぐそばにまで来ていたことを。 












隠れ屋で俺は挑戦状を受けたようだ。

裸電球のある地下室と思われる密室。

頭の奥が鋭く痛む。
映し出されている画像に血の凍る感覚を覚える。


俺はここを知っている。
20年も前から

20年前の消し去ったはずの記憶が途端に蘇る
モノクロのトラウマがカラーになって目の前に



剥き出しのコンクリート
画面の奥には医療用より二倍ほどの固い診療台
そこに肢体をそれぞれ皮製のもので拘束されている男の姿
使い古された黒皮の拘束ベルトはしっかりと男の肌に食い込み男は身動きが出来
ない
唯一の光源は、東洋人と思われる全裸の男を鈍く照らしだしていた。

そして
俺は20年も前から知っている。
これから映し出される画像の内容も…

乗り越えなくては
…逃げてはいけない

感情を抜きにして注視した


画面に写し出されたのは俺のトラウマそのものだ

あの時と同じだ



ここまでは





『ゥ…何処だここは。クソッタレめ…』


目覚めた男は、動かせるはずもない肢体をばたつかせる。
その度に拘束帯が肌に食い込んでいく



『ん?誰だ、そこにいるのは…キリコ、キリコか?』


『長い髪、眼帯…キリコじゃない』

『キリコ、キリコじゃないのか?』


不安げに俺をやたらと確かめたがる。
最近の口癖になってるの気付いてるかお前…

相手の声は意識の外へやり、行為の意味は考えずに
これは予測できたことだ。
俺はとにかく奴の体調を考えるように勤めた。

そこだけに神経を集中させる


『い、やだ。も、やめてくれ…くるな』


『いや…キリコ…もうこれ以上は無理だ。
く、るな。くるなくるなくるな!!』

『…やめろ…来るな、こないで、キリコ助けて!キリコ!!キリコ!!!』


『さわらないで、おねがいおじさん…』


怯え切ったブラックジャックに、男は手を伸ばそうとしていた。

人格が混乱しているやはりまだ治りきれていなかったようだ
…また心の傷が開きかけている。

のしかかる男が見える。
『誰だ貴様は?ふざけた野郎め、死ね!このゲス!!
ぶっ殺す!!
とっとと終わらせろ!明日午後からオペだぞ!このクソッタレめ!!やるなら即刻やれブタ野郎!
や…めろ、キリコじゃない』

「殺すって医者の台詞か…動けないのに、煽ってどうするんだ…」

画面に俺は思わず話かける。

これから始まる饗宴に、驚いたような腹の立つような顔をしている


『クソッ…う!』


男は首筋に舌を這わせ、鎖骨に吸い付く。
空いている手で胸を弄って快楽を引き出そうとしている


『キリコ…クッ!』


動かせない手を固く握りしめ、力を込めるごとに、手首が傷をついてゆく

『ぅあ…っ』

鬱血痕が徐々に広がって、肌に色をつけていく。


駄目だ、それ以上は…今の状態の奴には性行為は危険だ

スルスルスル…

手は下腹部から、下へ、下へと領域を広げてしまった

『や…め…ハァハア…キリ…コ』

息使いが気になる。

…やはり、心配した通りの症状を示す。

スルスル…

肩が大きく揺れ動く。吐息が段々粗くなっていく

『キリ…グッ…ハァ…クッ……クッ』

スルスル…ピタ

手が性器にまで及ぶと、
息が詰まり始めている。

…まずいな、兆候が出てる

そんな様子を楽しむかのように男は体ごと下半身へ移動し
性器を味わっているようだ。

ジュブッ…ピチャピチャピチャ…グジュ…

『や…ア…ガッ…グッ…ウグッ…キ…リ…』

無理に俺の名を呼ぶのはよせ。

口の端からは既に泡立ったものが見える。
引き付けを起こしている。
やはり…喘息が始まったようだ。

それでもブラック・ジャックは必死に訴える

『キ……ちが……ハッ、…う…!!
ハ…ハァ、ハア、ハッ…おじさ……フグッ』

無理矢理導き出した快楽を、口に含み、そのまま口づけをした。


息を塞がれたように、手足がビクリ、ビクリと大きく撥ね始める。



発作だ。



気道を確保しないとまずい。

息がまともに出来なくなっている

…既に呼吸困難に陥っているのは明白だ。
空気を求めて喘いでいる

はやく、はやく治めないとこのままでは…!!


そんな様子に満足したのか、起き上がると男は

顔に跨がり、

自らの性器を


口に含ませた


「やめろ!!!」

俺は画面にむかって思わず叫んでいた


ズッ…ズン…


酸欠状態で
白目を剥きかけている
手足が陶器のように白く固いままだ


ガタガタガタガタ…


絶え間無く震え続ける躯

ガタガタ……カタン

やがて手足はだらりとなり、

先程まで入っていた力が抜けていく。

繰り返されるピストン運動に合わせて囚われた躯がゆさゆさと揺れるだけ


ズッ、ズッ…ズン、ズン


絶頂を迎えたらしく、
喉の奥の奥にまで深く差し込まれ、表情は伺えない

『………』

満足した男が
ズルリと性器を
引き抜くが

顔はそのままで
開いた口も塞がらない


「は、やく、助けないと…」

画面をにぎりしめる手先が震える

男が撮影者にポジションを譲ると、


画面いっぱいに写し出された凌辱後の表情

髪は汗と涙で濡れそぼって、額に張り付いている
見開かれた目は真っ赤
瞳孔が開きかけている
口の端からは精液と
咥内を噛み締めたのだろう。血液が交じって 
ほのかにピンクに色ずいたものが
ツゥー…と伝っている。

拘束されていた手足は擦傷だらけ。
至るところに愛撫の跡が
古傷と新しく付けられた傷が交じって、傷痕のないところがないみたい
ピクリとも動かず、ダラリと垂れて脱力している

息はしていない様子だ。

俺が医師として今まで見てきた患者と同じ、死相が見える。
 
ただし俺が手を貸して逝かせた患者とは違う 


安楽なものではなく
惨い表情だった


「快楽殺人」


そんな言葉が当て嵌まる。


俺のトラウマの画像そのものだった。

ただ、違うのは、

白い髪、赤い目、顔の傷

全身をほとばしる古傷。


そして繰り返し
助けを乞う
名前。

父ではなく

『キリコ…助け…キリ…』


俺だということ


「嘘だ…」

どうしても、どうしても信じられない

場違いな電話が突然鳴った

「兄さん、隠れてるのにごめんなさい。緊急事態なの。
ピノコちゃんが訪ねてきて…とにかく話を聞いてあげて欲しいの。
ピノコちゃん、大丈夫?私が話しをしようか?
…そう。ユックリ、落ち着いて話してね。

…ヒクッ…きいこたん!先生が…、先生が…いないの…
患者しゃんを手術して仮眠をとゆから、起こしてって言ったのに、

探しても…いないの。

ベッドで寝てるはじゅなのに…ヒッ…

先生…何があってもキイコたんは今忙しいから…
絶対連絡するなって…れも、
…れも先生がもう何日か前かや…ヒクッ…
何か…あったんらないかなって…心配れ…」



「あああああああああ!!!」



父の味わった絶望感を

俺は知ることになった


これは昔のトラウマなんかじゃない

今起きている現実なのだ



『本当に大切なら、絶対に手放すんじゃない。
守るんだ。命にかえてでもな』


父が俺に繰り返し教えた言葉の意味を

俺は初めて知った


狙われているのが分かっていたなら側を離れるべきではなかった。


俺は「死神」であったことも 「人」であったことも忘れ 

狂ったように後悔をした

『…許してくれ!!』
『…すまない!』

それはかつての父の姿と同じだった

俺と父との距離の始まりのあの画像


人生を狂わせるのには十分だったと
頭ではなく心で分かった


安楽死は人を救うための医療行為だと考えていた。
自殺と殺人は絶対に助けたりしない

それは医師としての俺のプライドだった

だが、医師を捨て「死に神」ではなく、ただの「人」に戻ることを考えた。

俺は医療行為を殺人に切り替えることにした。

悪魔の薬が何だ。
医者としての責務が何だ。

たった一人の愛する人も守れずに、世界を救う気でいたなんて

世界が滅びようと、どうでもいい
お前さえ生きていてくれたら良かった



『やっぱり俺はおじさんが好きなんだ。
俺はおじさんを信じるよ、キリコ』 

そういえばブラックジャックは、命懸けで人を救うほど 
お人よしだったことを思い出した。


冷血だと思っていた俺に、
煮えたぎるような激情が残っていたことに驚いた。 


涙など、とうに枯れたと思っていた  


『親子で殺し合うなんて絶対駄目だからな』

深い傷を負いながらも隠して気丈に振る舞い、
俺達親子の仲を本気で心配していた。 

何度となく凌辱の記憶から喘息に苦しみながらも、
乗り越えようと生きることに必死だった。



「…安楽には死なせないつもりだ」

約束を先に破ったのはお前だ。

こんなに早く逝くなんて


エドワード、俺の父親だった人


「死神」として生き続けるよりも
「人」として死ぬことを、俺は選ぶ 





『終わったんだ、終わったんだよ。
もう誰もお前を傷つけたりしない』

こう言って、

おもいっきり抱きしめて

背中をさすって、
頭を撫でてやると 

ブラックジャックは

いつも

ふっと気の抜けたような顔をして、 

柔らかく笑った



















トントントントン…

…肩が熱い。
彼の温もりが伝わりほんの少しだけ肩の荷が軽くなるのを感じる

彼の熱は…


トン。


不意に動きが止まる。

「また考え事ですか…そうだ…晴れてるかな」

影三が不意に窓辺に行く。

「こういう夜の月を仲秋の名月って日本では言うんですよ。」
「何をするんだい?」
「こうやって月を眺めて楽しむんです。
俺も眠れませんから一緒に見ましょう」

影三は夜空を見上げた。


「ね、綺麗な月でしょう?」

君はそれ以上に綺麗だ。

「Cherry blossom」

思わず口をついて出た

「え?あ、そうなんですよ。
この月見というのは縁側にススキと団子をお供えして
神に貢ぎ物を捧げる行事なんですよ。
そのススキというのは、オバナといったり、イネの意味を含むんです。
イネというのはそれを昔は花と呼んでいました。
日本は農耕文化でしたから生活の中心のハナということです。
だからこんな風に「お月見」をするように「お花見」があって、
その言葉の起源はその年のイネがちゃんと稔り豊かなものになるか
桜の花を見て占ったんですよ。

「お花見」は調度こんな爽やかな季節に、桜の花を見て楽しむんです。

よくご存知でしたね、流石日本通です。」

スラスラと自分の意志で言葉を紡ぐ彼の声が心地よい。

「ほらそこに…影三がの植えた木だからね。
君は論文と同じで植えっぱなしだから」

私は20年前、影三が植えた木を窓から指差した

「ハハハ、エドはあの木の育ての親ですね。
秋だから…もう大分葉が赤いですけど…
エド…俺は夜桜が見てみたいですよ。
俺が日本にいたころは桜を夜にライトアップするなんて草々無かったですから」

「…夜桜?」

「そう。たった一目でもいいから見てみたいんですよ。
…とても幻想的で綺麗だそうですよ」

「なかなか興味深いね」

「そうだ…今度は月に住む動物の話をしましょう。

真っ赤な目の兎が
遠い、遠い空の向こうにいる話です。」
今度か。今度があるならば。何だって…

「兎の目は泣きすぎたから赤いってこの話はみおに習いましたけど…エド?」
「ん?ああ…眠いな」

「ごめんなさい、俺…他にこんな話する人がいなくって。
ついつまらないうんちくを。」

「…また聞かせてくれよ…君は…影三か?」

また霞がかってきた…ボンヤリとした頭でつい本音が出た

「え?ええ」


「影三。夜桜は君だよ」


それは自然と出て来た感情だった

街の明かりを反射して、
夜光灯に染められた彼は
赤い光を帯びている。
細い髪は光に照らされて半分ほどが月に重なり合い白く見え、
頬をバラ色に染めて
目にも写り込み、鳶色が、ほんのり赤く色づく。

夜風に吹かれて散りゆく桜は清く、潔く、美しい

憐れな様子はあまりにも綺麗で。
あまりにもはかない


私の深層心理が見せた幻だったのか

陽炎のような彼の姿。

それが
黒男クンなのか
影三なのか
夢なのか
現実なのか

寝不足のせいか、
あとのことは
記憶が途切れて
よく思い出せない。


影三……君は何て…美しい

いつかのような間違えを起こさないように。

夢魔を追い払うために

私はまた赤いキャップのコビンを胸ポケットから取り出し
数えずにでたらめに睡眠薬をウォッカで飲んだ 


「…エドワード、約束を覚えていますか?」

「ああ」


『俺がもし正気を失って誰かを傷つけたら…

その時は殺してください、エドワード。』


「大丈夫、ただの悪夢さ」

影三、君は私の悪夢を知らないだろう。

黒男クンを犯した時、
君を抱いたようにしたなんて

…パパじゃな…い……

無理矢理快楽を引き出して
私は両腕に彼の両脚を絡めて
彼の両腕を両手で抑えこんで
一切身動きが出来ないようにして、

一方通行の愛をたたき付けたんだ

精を受け、泣きじゃくる彼の顔は君にあまりに似ていた。


黒男クンを犯して以来
私を苦しめるのは
彼への罪悪感だった

美しい影三の姿。

だが今私は気がついてしまった

長年押し込めていた感情に……

頭に霧がかかっているようだ。
また夢魔がやってくるみたいだ。


この時私は知らなかった。

赤いキャップのコビンの底にメッセージがあったことを



##ジョルジュへ

これはネットで話題の
『体によくきくいい薬』だ…ジョルジュ、噂は聞いた。
君は朝から虚ろな目をして酒臭くて荒れてるって噂だ。
出張もなく研究室に引きこもりがちだと
君の直属の上司に問い合わせて裏もとった。
今の君に睡眠薬は絶対に渡せない。医者として、ノワールの仲間として。

分かってるだろうが睡眠薬とアルコールは突然死を招く非常に危険な関係だ。
騙したが謝らないぜ

中身は…アル中にお勧めのを貰ったから安心しろ

友人より

##


この時私は知らなかった


光に染まる
彼の姿が
その後の彼の宿命を
暗示していたことを。



私と影三は満徳に抗い、

私達が作った悪魔の薬に

息子達は挑んでいたことを



そして、偶然にも

影三は息子を守るために
手を尽くし、
自ら薬を投薬させ苦しい治療に堪えた


私は様々な罪悪感と葛藤しながら、
悪魔の薬のワクチンとなる薬を開発した


息子は、黒男君を助け、自らのトラウマと私とも向き合う決意をし、
「悪魔の薬」の出所を突き止めた


黒男クンは、心の傷を治療しながら、
薬に纏わる事件を洗いその傾向を分析した



そして…それぞれが自らの課題に立ち向かおうとしたていたことを。 

私は知らなかった

これから起こる出来事も 



ふいに私は、影三の資料の端に小さく書かれた文字を思い出して
指先で触れて考えた。


「クリアー」



それは無色。
まるで
今までの私達の努力を
無にしてしまうような
無色透明の空気のように。

私達の努力など

所詮大河の一滴に過ぎなかったのだと




「クリアー」

それは白実。

目には見えない
全ての人間の感情を

剥き出しにする言葉 

愛情、嫉妬、欲情、疑惑、激情、憎悪、殺意。


『貴様と私、何が違う?』
満徳が私の奥底にある感情をこじ開けてみせたように、 
私達はそれぞれにそんなものを持っている

抗いがたい、目に見えない
生々しい人間の感情を

隠し通せない人間の本心を


「クリアー」

視界が開けて
その心が
目に見えるほどに



私は知らなかった。

嵐の前の静けさであったことを



二人人で見上げたあの美しい月夜は 

台風の目の中でみた奇跡の光景だったことを。









 




Time over Chapter 2 End And that't all…? Continuation is Chapter 3.