18禁
※性暴力描写があります。苦手な方はご注意を!
これは二次創作上の表現です。これらの行為を助長、推奨を目的にしておりませんので、ご理解の程をよろしくお願い致します。  




(5話)



 まるで泥沼から無理矢理ひきずりあげられたかのように、急激に覚醒する。
 あまりの出来事に、意識が追いつかない。
 鈍く痛む頭と眼球の後ろ側。
「おきた?分かるかしら?影三クン」
 聞き覚えのある声。誰の声だっただろう…と記憶を巡らす。
 パチっと記憶のピースが嵌った瞬間、影三は青ざめて起き上がった。
「メアリさん!?」
 叫んだ途端、両頬を摘まれて、思いっきり引っ張られる。
「いたひ!いたひれす!」
「ジョルジュ夫人って呼んでって、言ったわよねえ、影三クン」
「ふ、ふみまへん〜」
「もう」彼女は手をはなして「衰弱が激しい患者だし、今日はこのぐらいで許してあげる」
「あ、りがとうございます」
 ジンジンと痛む頬に手をあてながら、影三は素直に礼を述べる。





Chapter 2-懺 悔-











  メアリ・ジョルジュは、例のプロジェクトでドクタージョルジュの助手だった女性だ。
臨床薬理のスペシャリストで、頭も切れる、仕事は早い。
「私はジョルジュ夫人って呼ばれたい!」と、学会で叫んだことは、結構有名だった。
薄く透けそうな色合いの金髪に、切れ長の上品な碧眼。
印象は儚げな美人なのだが、その印象を見事に裏切るパワフルで押しの強い性格だ。
そのギャップが好きなのだと、エドワードがしみじみと語ったことを思い出す。
「うん、まあ、大丈夫ね」
 簡単にバイタルのチェックをし、メアリは笑って見せた。「さて、何か食べられる?」
「あ…そうですね…」
 『食べる』という言葉を聞いて、彼は僅かに青ざめた。
「まだ、いいわね」
それを敏感に悟り、メアリは点滴を用意する。
それを眺めながら彼はぼんやりと、言葉を口にした。「……奥さんは、いつ来てくれたんですか」
「ん?半日前よ」
「えど……ドクタージョルジュは」
「眠らせたわ」と、メアリ。「薬は嫌だというから」
「………い、きてますよね」
「失礼ね!いくら私でも、夫を殴り殺したりはしないわよ!」
「…そうですよねえ」
あははは。笑いながらの会話だが、実は全く笑えない。
メアリは格闘技好きで、体力やワザは、そのへんのインドア派の男よりもはるかに上だ。
影三も、研究に没頭していたとき、何度か気絶させられた経験が。
そんな彼女だ。ドクタージョルジュが彼女と結婚すると言った時、一緒の研究医は声をあげて驚いたのだという。
ドクターシュタインに至っては「死に急ぐこともないだろうに」と言ったそうだ。
そんな武勇伝の方が目立つが、彼女はとても心が優しい人だということも、影三は知っている。
だって、現に、今だって。
「気にすること、ないのよ」
点滴の針をさして、落ちる速度を調節しながら「主治医なんだから。ドンドンこきつかって。
どれだけかかってもいいのよ。あなたは、自分のことだけ考えなさい」
「でも」
「”でも”じゃない」メアリは言った。「目の前のあなたを治せなくて、誰を治すっていうの。
影三クンを回復できなければ、エディに医師としての価値なんて、ないわ」
「いや、そんな……」
 言い切る言葉。それは随分と勝手な言葉にも思える。
 だけど彼女は恐らく、誰よりもエドワードの医師としての技術を信じている。
「休息の時だけ、週に一回程度、私が来るけど、許してね」
「いえ、そんな」慌てて、首を振ってから「…そういえば、もう一人、誰かいました?」
「もうひとり?」
ぎくりと、メアリは動きを止める。だが彼はそれには気づかずに
「気のせいかもしれないんですけど…眼鏡をかけてて、ドクタージョルジュに似た感じの男性がいたような……」
「ああ、あれはエディの従兄よ」
「従兄?」
「そ、う、父方の。似てるでしょう?」メアリは内心、冷や汗をかきながら「彼も医師をしてるの。ファミリードクターをやめて、今はアメリカで勤務医。
たまたま戻ってきててね…」
「ドクタージョルジュの伯父さんは、独身で香港戦で亡くなったって聞きましたが…」
「あれよ、実はエディのお母さんは実は双子で、だから息子は従兄みたいにそっくりなの!」
「へえ…」
珍妙な話に、影三は納得したように頷いた。「臨床医なんですか。すごいなあ」
「そう、すごいわよね」
「お名前は?」
「エド………アルド、エドアルドよ」
そこまで言ってから「そうだ」とメアリは手を叩く。
「影三クン。三日ほど、エドアルドと過ごしてみない?彼、精神神経障害病棟にも勤務したことがあるから」




■■■




「…私に勤務医の経験はないよ」
 メアリの作った、少し焦げて硬くなったベーコンとスクランブルエッグを食べながら、ジョルジュは答える。
だがメアリは「いいから!」と譲らない。「今は”エドワード”と顔を合わすのは気不味いと思うのよ。だから、かえってまったくの他人の方が、
今の影三クンにはいいと思う」
「…しかし」
「しかしもカカシもないわよ!」
がん!メアリがテーブルを叩くと、のっていた食器類が一瞬浮いた。
「だいたい、過労の末に判断を誤って患者を悪化させたなんて、勤務医だったら訴えられてもいいところよ!治療計画の判断ミス!医療事故もいいところでしょう!」
「…おっしゃる通りで…」
 そのことに関しては、弁解の余地も無い。
 二ヶ月かかって、少しずつ少しずつ食べることができたものが、一気に逆戻りだ。
「じゃあ、決まり」強引にメアリは話を続ける。「名前は、エドアルド・ジョルジュ。カルフォルニアで神経内科専門の医師。5年前に知り合った彼と同棲中。
彼は両親を殺されて、生き別れの最愛の弟を探していたけれど、弟が死んでいたことを知り、自殺をはかる。
その搬送先でエドアルドと出会ったの。エドアルドは、自分の愛の力で彼を弟の呪縛から解き放ち、愛の力で彼の心を手に入れた。
で今回は、その男と結婚する報告の為に帰省した」
ぶほ。
「…なんだって?」
 無茶苦茶な人物設定に、ジョルジュは飲んでいたコーヒーを噴出した。
 そんな身内、実在したら、ちょっといやだ。
「あら、素敵じゃない」
と、メアリ。女性の思考はよくわからない。「もう、影三クン説明してあるから」
「PVつきでか」と、ジョルジュ。「その彼の名前は」
「決めて無かったわ」
そうねえ…と考えながら、ふと彼女は壁にかけてあるライフル銃を目にして
「ウィンチェスターは?……決定!ディーン・ウィンチェスター!」
「はいはい」と、ジョルジュ。「私は、エドアルドで恋人の名前がウィンチェスター」
「弟はサミュエルよ」
「わかったよ」
 眼鏡をかけて、ジョルジュは立ち上がった。「三日…三日ね」



■■■



 ノックをすると、返事が返ってきたので、部屋へ入る。
「気分はどうです?間さん」
ばれないのだろうか…と思いつつ、多少口調や声色を変えて、ジョルジュは話し掛けた。
彼はこちらを向くと、会釈をしてみせる。
「初めまして、ドクター」
警戒はしていないようだった。彼は、ジッと見詰めてから、ふわりと笑った。
その表情に、ドキリとする。
「気分は大分いいです」彼は言った。「水も僅かですが口にできました。…お休み中に申し訳ありません」
「気になさらないで」
「エドワード氏の幼馴染なんですか」
彼は鳶色の瞳を輝かせて「エドワード氏の子どもの頃って、どんな風だったんですか?」
「こ、こどものころ?」
 意外なことを聞かれて、タジタジになる。
 どんな…どんな風と言われても「普通の子だったと思いますよ」
「バイオリンは」彼は言った。「子どもの頃に弾いていたと、聞いたことがあるんですが」
「ああ」そんなことを言ったこともあったっけ。よく覚えている。「彼の祖母が亡くなるまで教えていました。その後は独学ですが、
ピアノとバイオリンは好きだったようですよ」
いつ話したのかは覚えていない。
でも、覚えていてくれたのか。私のことを。
「エドワード氏は、どうして医師を志望したのですか?」
今まで聞かれた事の無いことを、彼は尋ねてきた。
正直、意外だった。
「あなたは」それでつい、ジョルジュも尋ねていた。「どうして、医師を希望されたのですか」
「…私は…」少し言葉を切って、そして「祖母が…心臓の病気で…高齢だったため、移植に適合したものが見つかったときには、
すでに体が耐えられなくて……それで、生体間ではなく、
誰でもすぐに移植できる人工臓器ができたら………と…」
それは、一度聞いたことがあった。
彼はもう一度言葉を切り、そして少しだけ顔を歪めた。「…でも、本当は……実は、私の父は軍人で…私は父から医師になるように言い聞かされてきました
…それも、根底にあるのかもしれません」
「そうですか」
 聞いたことのない話だった。
 彼の母親は日系の白人と聞いている。それが縁で幼いときに、合衆国へきたのだとも。
「エドワードは…」ジョルジュも、静かに口を開く。「…彼の父親はカナダのファミリードクターだった。その影響だと思いますが……彼が研究医になったのは、
父親から離れたかったせいだと、聞いています」
 母と姉を亡くしてから、まるで墓場のように静まり返った家。
 そんな家に帰ることがいつから、苦痛になったから。
「初恋の相手とかは?」
「初恋の相手!?」
わくわく。と顔中に書いて彼は尋ねてきた。なんだか芸能リポーターに取材されている気分だ。
「…初恋?…初恋…」
「ご存知ないですか?」
「いえ…」知らないはずはないのだが、だがしかし「…間さんの初恋の相手は、どんな方だったんですか」
「月並みに、近所の女の子でしたよ」彼は笑って「米国に来る前です。日本の田舎の女の子でした」
「へえ」
日本人の女の子。君の好みは昔から、変わらないんだね。
少し胸が痛かったが、初恋のことで嫉妬しても仕方がない。
あ。と一つ思い当たる。そういえば
「エドワードの初恋は、あなたですよ」
「へ?」
彼の顔が真っ赤になった。
忘れていたわけじゃないけど。でも。なんだか埋もれていた。
そうだったのだ。
「彼は告白されることは多かったですけど、自分から惚れたのは、あなたが初めてでした」
自分から、触れたいと思ったのは。
心のすべてを奪われたのは。
君が、初めてだった。
「だから、あなたが大切なんですよ。あなたが笑ってさえいられれば、エドワードは」
「私も、彼が大切です」
ぽつりと、それでも、はにかみながら、影三は呟いた。「彼のお陰で、私は淋しくなかった。
彼のお陰で、私は毎日が楽しかった。彼が、私の中の何か足りないものを補って、そして満たしてくれた……私は、彼がいなければ、
きっと生きてはいられなかったのかもしれません」
 彼の言葉が、私を満たす。
 違う、影三…それは、私の方だ。
 だから私は、君を助けたいんだ。君が、君が幸福そうに笑っているのを、見たいんだ。
 私を愛さなくてもいいから、君が笑っていてくれさえいられれば。
 それなのに。
 それなのに。
「…間さん…」ゆっくりと、ジョルジュは話し掛けた。「もしも、僕がエドワードだったとしたら…それでも、恐いですか」
「あ…」
彼は少しジョルジュをみて。そして視線を僅かにそらした。
思案しているようだった。
そして、もう一度、ジョルジュを見る。
「恐いと言うのは…恐怖とかではないんです」
そして、再び、視線を逸らす。「恐いのは……彼が私を軽蔑してしまうのが……私は、人として、貶められて……それを見られるのが恐いんです…」
 かたかたと、微かに震えている。
 それでも語ることを止めないのは、彼の心の強さだ「でも、彼は……そのことを知っている…なのに、彼は触れずにいてくれて……俺は、なのに、
エドを信じていないのか、どうしても、見られたくなくて……」
「焦らなくても、大丈夫ですよ」
だから、苦しまないで。
「でも、俺は、エドを傷つけてばかりなんです!」
 さあっと、鳶色の瞳が僅かに潤む。まるで感情が耐え切れなかったように。
「酷いことをしている…だけど、俺はもう、身体と心がバラバラで…思うとおりに機能してくれなくて…!」
 震えながら、彼は細く息を吐いた。
 そして、固く目を瞑る。
「…幻覚を、見たんです…」ゆっくりと、吐き出しように彼は「エドワードが…私の記憶の中で、私を貶めた人物にすりかわって…意識では違うと理解しているのに、
自分の記憶では、鮮明に、その人物が触れてきて…どうしようもないんです」
「そうですか」
そうだったのか。だから君はあんなにも苦しそうに。
「それが恐ろしくて…」
頭を抱え、彼の声はまるでうめき声のようだった。「…自分の視覚認知が、信じられないんです…私は…もしも私の脳が、エドワードを…あの人物だと認識してしまったら」
「それは…」
「俺はもう、自分が信用できないんです」
 きっぱりと、彼は言い切った。「わかってる。でも、もしも俺の脳がそう認識して、エドが満徳に見えたら…俺は、俺は狂っちまう…正気でいられる自信がない」
 本気で、本気で怯える彼の姿に、叫んでしまいそうになる。
 大丈夫だ。大丈夫なんだ、と。
 しかし、今ここで彼に事実を告げても、彼は受け入れら無いだろう。
 或いはこの姿でさえ、君には---------。
 辛いだろう。自分自身ですら信じられないだなんて。
 君は、君の世界は何でできているの。
 まるで生き地獄。
 君の世界は、あの男が作り出した、暴力と強制と虚実で塗り固められているのか。
 記憶でさえ、認識ですら、君はあの男に支配されて。
 それでも君は、あの男を拒絶しつづけている。
 受け入れた方が、遥かに楽に慣れるだろうに。君は、君は、自分であることをとるのだ。
 なんて潔癖で、高貴な精神力なんだろう。
 それが君の身体を、思考を苦しめても、君はそれを放棄しない。
 君は、決してあの男を受け入れない。
 でも、それでも。




■■■




 妻に、廊下待機を頼んだ。
 もしも影三がパニックに陥ったら、すぐに駆けつけられるように、と。
「…正気なの」
何度も妻は尋ねる。だが、いっそ、これしか方法がない。
「試してみようと、思う。”エドアルド”の私が平気だと言うことは、容姿が原因ではないということだ。私の存在事態に認識異常の原因があるのなら、
もう、私には手におえないよ。だから、最後に、試してみるよ」
「仕方が無いわねえ」
小さく溜め息を吐いて、妻は言った。「今度は間違えてキスしないでよ」
「分かってる」
「殴ってでも止めるから」
「お願いします」
「もう」
もう一度溜め息を吐いて、妻は笑った。「仕方が無いけどね。影三クンはエディの特別なんだし、影三クンに惚れこんでいるエディが好きなんだし」
「……」
「私も、エディを愛しているんだから」
「…メアリ…」
「私と影三クン以外の人間にキスしたら、ライフルで脳天ぶち抜くわよ」
「肝に銘じておきます。奥さん」
「当然よ」
「じゃあ、万が一の時はよろしく、My sweet honey」
 軽く彼女の唇に口付けると、眼鏡をかけて、部屋のドアをノックする。
 じっとりと、いやな汗を、かいていた。


「ドクターエドアルド?」
 彼は不思議そうな顔でジョルジュを見詰め、ハッとしたように、視線を逸らし俯いた。
 はっきりと身体が震えている。
「…影三…」
いつもの声。いつもの調子で、ジョルジュは彼を呼んだ。
そして眼鏡を外し、俯く彼に分かるように、目線の下に置く。
「影三」
「……ドクタージョルジュ…」
ギュと彼は眼を瞑る。額からは玉のような汗が噴出していた。
呼吸も浅く、短くなっている。
やはり、無理だろうか。限界だろうか。
「影三」なるべく優しげに、ジョルジュは話し掛けた。「いい…無理をしないようにしよう。
エドアルドで平気なら、彼に頼むよ。影三……済まなかったね。本当に、辛いことを…」
うまく言葉が繋がらない。
何を、どう伝えればいいのだ。言葉をうまく選べない。
ただ君に負担をかけないようにしたいだけ。無理なようなら、ドア越しでも、エドアルドにでもなるから。
ただ君が回復できなければ、意味がないのだから。
「…エド…」
目を瞑ったまま、彼は手を伸ばした。その手が宙を探るようにゆっくりと動く。
「…エド…行かないでください…」
「影三…?」
彼の手が、ジョルジュの頬に触れる。眼を瞑ったままだったが、彼は困ったように笑ってみせた。
「捕まえた……」彼は言った。「…エド、ごめんなさい…泣かないで…」
「………え?……」
 言われて、はじめて自分の頬が、頬に触れる彼の手が濡れていることに気づく。
 いつの間に、涙していたのだろう。
 泣きたいのは、君のほうだろうに。
「エド、大丈夫。俺は大丈夫です」
言い聞かせるように、彼はジョルジュの頬や耳に触れる。
その手は、細かく震えていた。
「影三、無理をしないで」
「違うんです」彼は言った。「俺も、エドに会いたいから、だから、このままで」
震えながら、確かめているように、彼の手が動く。
戦っているのか。自分自身と。震えながらも、果敢にも。
「エド…」彼は何度も唱える。「エドワードですよね…?エドワードですね?」
「ああ、そうだよ。私はエドワードだ」
「エド…ですよね」
何度目かの問い。彼は震えながら、その瞼を、開いた。


大きく、ゆっくりと瞬く鳶色の瞳。



「…エド…?」彼はその瞳で確かめるように、頬に髪に触れた。「…碧眼…白い肌……灰銀髪……エドワードですよね」
「ああ、そうだよ、影三」
そうだよ。君は、自分でのりこえたんだよ。
「私が、分かる?」
「エドだ」
「そうだよ」
「エドだ…」
くしゃりと彼の表情が歪むと、驚いたことに彼はジョルジュの首に飛びつき、頭を掻き抱いた。
「エドだ…エドワードだ……!!」
そして、ジョルジュの頭を掻き抱いたまま、彼は声をあげて泣き出した。
まるで迷子の幼子が、親を見つけ出したように。
「エドだ!…よかった…エドだった!」
「そうだよ、影三…すまなかった」
 恐る恐る、彼の背中を抱き締めた。
 それでも彼は、抵抗する事無く、腕の中にいてくれる。
 怖かったのだろう。彼は、彼の愛する家族がいない今、彼の頼れる人間は、ジョルジュしかいなかった。
一生あえないかもしれなかった、恐怖。それに打ち勝った今、彼は子どものように泣きじゃくる。
怖かったのだろう。辛かったのだろう。
こんなふうに、負の感情を出すのが下手な彼だ。
人前で号泣するところを見たのも、初めてだった。
「影三…影三…大好きだ…」
腕の中で、泣きじゃくる彼。記憶よりもやせ細ってしまった体。
だけど、今、彼は怯える事無く自分の腕の中にいる。
それがたまらなく、嬉しかった。


泣きつかれて眠ってしまった彼を抱き上げたとき、メアリがこっそりと顔をのぞかせた。
そして小声で「私、帰るね」と告げる。
「ああ、ごめん。ありがとう、メアリ」
「よかったじゃない。おめでとう、エディ」
にっこり笑って、彼女はジョルジュの頬にキスをする。
「車、貸してね。明日、届にくるから」
「頼むよ」ジョルジュは言った。「愛してる。キリコも。ユリも。本当にすまない」
「いいのよ、影三クンだもの」
 そして彼女は優雅に笑ってくれるのだった。








「え、昨日、帰ったんですか」
少しがっかりしたような声色に、ジョルジュは少しムッとして
「なんだ、エドアルドの方がよかったのか」
「いえ、そういう訳では…」
慌てて首を振る彼に、つい邪推してしまう。「エドアルドには、ウィンチェスターという運命の恋人がいるんだぞ」
「羨ましいですね」
「なに?」ジョルジュは処置する手を止めて「まさか、エドアルドに惚れたのか!?」
あれは本当は私なんだぞ!
そう叫びそうになるのを堪えて彼に詰めよると、彼は笑って「違いますって」と言った。「ドクターエドアルドは、なんというか、
話し易くて…なんか、色々と話しちゃうんですよ。
だから、あんな聞き上手な人が恋人がいて、ウィンチェスター氏が羨ましいなあ…と」
「そうなのかい?」
「ええ」
「…そうか」
処置を開始するが、ジョルジュの心情は複雑だ。
だが


『彼が、私の中の何か足りないものを補って、そして満たしてくれた』


影三の言葉。彼が自分をそういうふうに思っていてくれたのが、とても嬉しかった。
日本人の気質もあるとは思うが、彼は本心を語ることを、あまりしてくれない。
ドクターエドアルドは、まったく知らない他人だから、話すことができたのだろうか。
影三、絶対に君を治してみせる。時間がかかっても、必ず。


だってそれが、私の存在意義。
それができなくて、私に医師としての価値など、ない。









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