死神がドアを開けると、スミスが破顔して出迎えてくれた。
「時間がないのだが、まあいい」
 よほど機嫌がいいのだろう。自ら紅茶を淹れながらスミスは言った。「わざわざジョルジュが訪ねてくれたのだからな、無下にはできないよ」
 美しい青い薔薇を描いた茶器を手渡しながら、スミスはウキウキと笑いソファーに腰掛ける。
「もう数時間でスポンサーが来てくれるのだが…」
 茶器に口をつけて一口啜り、ソーサーにかちゃりと、置いた。
「君は別格だからね」 
 それはゾッとするほど、色を滲ませた、声色。






■10話■
  








 だぶつく白い皮膚を摩り上げると、大佐は上擦った歓喜の声を上げる。
 柔らかなそれは、柔らかいが、明らかに女性のそれとは大違いだ。
 切り分けて肉屋で売れば、さぞ高値のつく霜降り肉だろう。
 同性の性行為に興味がなければ、こんな自分より、年齢も、体重も遥かに超える男の体に欲情するなど、先ずないのかもしれない。
 別に欲情しているわけではない。義務だ。そう割り切っているわけでもない。
 ただ、何も感じない。
 何も感じ取れない。
 砂を噛み、その味気なさに顔を顰めることすらない。
 欠落した左目が、疼くこともない。
 大佐の性器を口に含むと、それだけではしたない声を女のように漏らす。
 この行為を何より好む大佐は、あの戦場でも、幾度となく命令と称して、行為を強要した。
 それを拒むことなど、できはしなかった。
 不意に、あの日本人の事を思い出す。傷だらけの肢体。あの男は快楽に身を委ねるまで、苦行のように耐えていたか。
 色のついた肌は、男を知らぬ体ではなかった。
 それが何を意味するかは分からなかったが、少なからずも、ショックを受けたのも事実だ。
 それが何故だかを考えることを、死神はあえてしなかった。
 何度かの奉仕で、大佐は白濁を吐き出す。
 残滓を吸い取ると、額に汗を浮かべた彼は、愛しそうに死神の名前を呼んだ。
「君は別格だ、ジョルジュ」
 醜い笑いを浮かべて、大佐は肩で息をしながら口を開いた。「私の美しい死神…姉の命を奪ったお前は、私に一生償わなければならないからな」
「ええ」死神は、大佐の右手をとった。そして「それは、あの時から、変わらぬ誓いです」
 そっと冷たい唇を、大佐の手の甲に寄せる。
 その行動に、大佐は満足げに頷くと、腕時計を眺めて笑って見せた。「まだ、時間がある…ジョルジュ…」
「Yes Sir」
 動かぬ表情は唇だけを動かし、死神は大佐の命令を遂行させる。
 
 足止めをしろと、あの天才外科医は言った。

 あの日本人医師の爆破計画は、呆れるほど単純だった。
 あの男は、天才と称せるのは医学分野だけだったのかと、半ば感心したぐらいだ。
 
 仕方がないので、死神もその計画に多少は手を加え、そして実行に移すことにしたのだ。
 何故、この男の無謀な計画に乗ったのかは、自分でもよく分からない。
 だが本能に近い怒りの感情を露にする、この天才外科医の無茶振りに、自分もあてられたのだろうか。
 
 被験者は現在、40人弱。
 その総ての人間を逃がすのだと、やはり無謀なことを日本人は言う。
 だが、その姿勢は、嫌いではない。

 大佐の後孔を貫き、犯す。
 善がり狂う彼に、強烈な快感を叩き込みながら、死神は僅かに時計を盗み見る。
 計画は至って単純だった。
 死神が大佐を足止めをしている間に、異臭騒ぎでも起こして、全員を非難させてから破壊するというのが、日本人医師の案だった。
 そんなことをしたら、確実に途中で計画がばれる。
 その事を告げ、多少、小ばかにしたした発言により怒りだした天才外科医と取っ組み合いになりつつ、
 死神の立てた、遥かに現実的な案に、天才外科医も渋々従うことにした。

 問題は、今日表れるという、外部の人間。
 スポンサーが来る前に、事を終らせておく必要があった。

「君が、姉の連隊を皆殺しにした後、君は私の元で、実によく働いてくれたね。
できるのなら、あれが一生続くことを願っていたよ」

 組み敷いた男が、嬉しそうにしがみついてきた。
 その言葉に、死神の欠落が、僅かに疼く。

 レディ・プレジデントの死は、生き残った人間に大きな衝撃を与えていた。
 だが同時に、苦痛からの開放と彼女と共にありたいと願う、重傷者の訴えも、分からなくもなかった。
 死の近いものの死を早めてやった。
 なかなか訪れない救援隊は、兵士に別の救いを見出す時間を与えてくれた。
 腐ってゆく傷口に真っ白な蛆が集る。
 救援部隊が到着した時には、生存者は片手で数える程度だった。
 これで、終ったと思った。
 同胞の命を摘み取った殺人医など、この世に存在してはならないだろう。
 だが、同時に、痛みを伴う安堵もあった。
 多くの重傷者を見殺しにしてきたことを思えば、積極的に与える死は、正面から向き合ったものだったから。
 人形ではなく、彼ら兵士を人間として、看取ったのだ。
 軍法会議ではなく、レディ・プレジデントの弟であるスミス大佐に呼集された時、これで人生が終るのだと、思った。
 家族を殺したのだ。
 彼の手で銃殺されても、それは本望だと、思い込む。
 ただ、故郷にいる家族に、父と妹に、申し訳ないと思った。
「姉も軍人だ。いつどうなっても、覚悟はしていた」
 レディ・プレジデントによく似た風貌の大佐は、舐るような視線で見詰めていた。
「君は、我が国家機密部隊付になる。私の命は絶対だ」
 耳を疑った。恩赦なのかと思った。
 だが、実際は、地獄のはじまりだった。

「細菌兵器の開発だ。捕虜を使い、生体実験を行う。簡単なことだろう?」
 同朋を殺し捲くった、君には。

 そして、気がつくと、数人の兵士に押し倒されていた。
 大佐の凶暴な笑みを、今でも思い出すことができる。
 狂った実験場で、若い新人の軍医は、格好の餌食だった。
 
 だが、抗うことなど、できなかったのだ。


「君が去ったあと、私は肩と足を負傷してね…軍人生活を終えるしかなかった。この私が隠居生活など、耐えられなかった。
そんな折に、あの人が私の元を訪れたのだ」
”貴方ほどの男が、日常に埋もれるなど、人類の損失ですよ”
「場や人材は総て、あの人が用意してくれた。私はこうして、また人体実験を味わうことができるようになった。
嘆きと恐怖と理不尽に怯える下層の連中を、火にくべる毎日をね」
「優しいのですね」
「そりゃあ、もう!」頬を上気させて、大佐は口早に述べ始める。「頭のいい男だよ、あの人は。そして、悪魔のような男だ。
みな惹きつけられて、貪られるんだよ」
物語のダークヒーローに対する賛辞の言葉のようなものを並べ立て、大佐は夢見る少女のような表情をしてみせる。
悪魔のような男と言えば、この大佐も負けてはいないだろう。
それでも、大佐が惹きつけられ、悪魔と称する男とは、どのような人間なのか。
「誰です、それは」
 子どものような笑みを浮かべて、楽しそうに大佐は言った。「だがね、あの人を私は独占できるカードを手に入れた。それは、ジョルジュ、君のお陰だ。
感謝する」
「独占?」
「そうだ」大佐は言った。「最強のカードだ。あの人をね、独占したい人間は、世界中にいるんだよ。表向きは、妻子ある紳士だが、その実は人間の面を被った悪魔だ。
あの人を手に入れられれば、他に何もいらないんだ」
 言い切ってから、大佐は手を伸ばして死神の銀糸に触れる。
「ああ、でも、ジョルジュ…君は別格だな…」
「欲は、身を滅ぼしますよ、大佐」
 皮肉のつもりであったが、大佐は、くつくつと笑うと、起き上がり衣服を身に着ける。
「忠告は心に留めておこう」
 死神は立ち上がり、衣服を整えた。
「では」
 一礼して、彼は退室する。
 それが合図だったかのようだった。
 
ドアが閉まるのと同時に、鼓膜を突き破るかのような大音響が、建物を激しく揺さぶった。
 続いて、床が小刻みに震え、遅れてくる振動を伝えていたかと思うと、二度、三度と破裂音が鳴り響く。
 焦げ臭さと、熱が一気に建物内の温度を上昇させ、揺さぶる振動は、絶え間なく続いている。

「…やりすぎだ、あの馬鹿は…」
 この爆発の原因を知っている死神は、犯人のいるラボへと走り去っていった。






 唐突な連続した爆発音に、大佐は呆然と壁にしがみついたまま、成り行きを見守っていた。
 大きくなる振動はこの建物の崩壊を予感させ、それが恐らく現実であろうと実感すると、よろめく足取りで、机までたどり着き、なんとか受話器を耳に押し当てる。
 だが、確かに呼び出し音はなるというのに、その音が途切れることはなかった。
「…何を、何をしているんだ…!」
 苛立つように舌打をする。冷や汗が額から頬を伝って、机上の盤面に雫を垂らす。
 苦痛に怯えるように、きつく眼を閉じた瞬間だった。

 プツッ…ツーツーツー

 不意に途切れる呼び出し音、そして続く電話の途切れた音に、大佐は目を見開いた。
 眼にうつるのは、大佐の持つ受話器の本体にある、フックを抑えるしなやかな手。
「…誰も出ませんよ、スミス大佐」
 フックを抑える手を凝視していると、すぐ耳元から声が吹き込まれる。
 ぞくりとする、あの人の声だった。
 
    




    
 


 
 











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