惨劇から命を選別する瞬間が、医師の最大の役目であった。 助からぬ者には眼もくれず。 軽症者から処置を開始する。 呻き声を無視し、呪いの言葉を背中で受ける。 躊躇っていては、救える命が零れ落ちる。 だから、誰よりも鈍感になりたいと、願ってやまなかった。 ■7話■ 戦場から遠い野戦病院は、銃撃戦よりも呻き声の方が、よく響いていた。 軍医として赴いた場所で、最初に教えられたのは、肉体を命と思うなということだった。 「いいか、あれは”兵士”という名前の人形だと思え」 非道いことを言うと思ったが、その意味はすぐに知れた。 運びまれ手来る兵士を選別し、助かりそうなものから、処置を開始する。 怪我の程度によっては、麻酔など貴重な物資は使えない。 両手を押さえながら肉を切り、銃弾を摘出して縫い合わせる。 悲鳴にはなれた。ただの騒音だと思えばいい。 兵士を人形だと思え。 今思えば、あれはここで生き延びる医師への、哀しい現実だった。 内臓がはみ出ていても、ものによっては助かった。 それを、ぎゅ、ぎゅと押し込み、縫い合わせるだけだ。 だが、頭が割れているのは、無理だ。 息も絶え絶えの彼の頭に、そっと帽子を被せてやるぐらいしか、できない。 両足が吹っ飛ばされたのは、もう無理だ。戦場には出られない。 三日待てば、本国へ帰せるかもしれない。 だが彼は、数時間後に、こと切れた。 片手を切り落とされた若い兵士が、もう帰りたいと泣き喚く。 幸い、利き腕ではなかった為、鎮痛剤を打って、またも戦場へ送り返した。 綺麗な顔の兵士だった。だが、その背中は熱風で焼け爛れ、もう無理だと瞬時に判断する。 骨の見える背中にシーツを被せた。 ”いつ、楽になる?” そう問われ、朝までには、と答えた。 だが、彼は生き延びてしまった。血を吐きながら、三日は生きた。 食べなければ胃液を吐き出すため、何かを食べる。 嘔吐するために、必死で食べた。 モルヒネを自分の腕に突き立てる。そうでもしないと、冷静に仕事はできない。 「楽なもんだな。命の危険もなしに、国のために働くのは」 上官の心無い一言に、全身が熱くなった。 血の昇った頭は判断力を失い、気がつけば、上官の胸倉を掴み上げていた。 「貴様に見殺さなければならない、医師の気持ちが分かるものかッ!」 「手を離したまえ!ドクタージョルジュ!」 上官が銃を構えるのが視界に入り、思わず拳を振り上げていた。 それから先は、記憶にない。 「本来なら、軍法会議ものだった。…医師免許剥奪か銃殺刑。だが、ジョルジュはどちらも免れた」 「何故です」 思わず尋ねる天才外科医の声に、スミスはニヤリと笑ってみせた。 「ジョルジュが殴った男は、有名な策士だった。悪名のな。あの男は、最も卑劣かつ凄惨な復讐を思いついたんだ」 前線に同行。連帯付きを正式に命令されたのだ。 「誰もが、ジョルジュの死を覚悟し、嘆いたさ。それほど、彼は”心あるドクター”として、慕われていた」 幾ら戦闘術を兵士と同じように学んだとしても、ジョルジュは医師なのだ。 戦場に出ると、医師のすることは”運ぶ”事に集約される。 生きているものが、医師の下に訪れることは、皆無であった。 銃弾の飛び交う中、息のあるものを探し、隠れ、処置を施す。 時折、腹に響く爆発音や、揺れる地面はすぐに慣れたが、甲高い機銃音は、恐ろしかった。 埃に涙を流し、首の後ろは、誰かの血液が乾きべっとりと張り付いている。 血と硝煙と腐乱臭に鼻は麻痺し、バラバラになった肢体の破片をみるのも、慣れてしまった。 士気が低下してしまいそうな中、それを奮い立たせていたのが、たった一人の女性であり上官に当たる隊長であった。 「生きて帰るんだ、生き延びろ!」 女隊長は、幾度となくそう呼びかけていた。 あまりに陳腐な言葉は、戦場では分かりやすい指針となった。 何より、彼女の声と言葉は力があった。美しい容貌のせいもあったが、彼女の命を守らなければならないと思わせる、何かがあったのだ。 その気力が、兵士たちの生命力を強固にしていたのは、事実であっただろう。 誰もが、戦場で走り回り、誰もが宿営地にもどり、隊長の姿をみたいと思った。 生きて戻れば。 彼女は密かに”レディ・プレジデント”と呼ばれていた。 それでも長期化する戦場では、徐々に、確実に兵士は命を落としていく。 それは相手の方も同じであったから、どちらが先に尽きるか、最早、時間の問題でもあった。 焦りと疲労と死の恐怖に脅かされる、夜。 敵軍の最後の足掻きが、夜襲となってぶつけられて来た。 不意を突かれた攻撃に、兵士は次々と倒れていく。 非戦闘員であった医療班でさえ、武器を持って戦わざるを得なかった。 暗闇で光る、不気味な連続閃光。 昼間よりも響き渡る、爆撃音。爆発音。 夢中でトリガーを引いていた時、何か熱いものが左目に押し当てられたような気がした。 空が白みかけてきた頃、やっと夜襲が終わり、辺りは静まり返る。 誰もが、疲れきっていたに違いなかった。 「ドクタージョルジュ!」 誰かが、遠くで呼ぶ声がする。 その声は、悲鳴に近い声で、泣き叫んでいるようだった。 「来て下さい!レディ・プレジデントが…スミス少佐が撃たれましたッ!!!」 次頁