※アニメBJ21『生命の尊厳』補完駄文です 目を覚ましたとき、総てを失ったのだと理解した。 胸元に指を、恐る恐る滑らせる。 滑らかな肌と自負するそれが触れる、違和感。 手術痕。 奇跡のような手術だと、医師は言った。 正に、神業。 さすが、天才外科医ブラック・ジャックの仕事だ、 と。 ブラック・ジャック。 その固有名詞を聞き、自分の内で灯る炎。 それは、憎悪。 それは、苦痛。 それは、嫉妬。 ブラック・ジャック。彼は間 影三が愛した女の一人息子。 影三が愛した、たったひとりの 生命の尊厳『総てを赦す者』 馬鹿な男だと思う。 何故、自分を殺そうとした女を、生かしたのか。 父親を裏切らせたとみせて、最も残酷な手段で奪った人間を。 医師だから、か。 悪徳無免許医だと名高くても、所詮は医者だからか。 馬鹿馬鹿しい。 私には関係ない。 あの男は、私から総てを奪った。 私の顔を。娘を。影三を。 許さない。絶対に許さない。許しはしない。 全蓮花の身柄は、本人が回復次第、警察病院へと移送することになっていた。 容疑は、殺人。 彼女は(誤ってだが)父親である全満徳氏を殺害した容疑が、かけられていた。 ベッドでおとなしくしている彼女を見かけるたびに、ドクター・クーマは複雑な思いに捕らわれる。 彼女の顔は、間 影三の前妻である、みおにそっくりだった。 いや生き写しと言っていい。 勿論、ドクター・クーマは蓮花の元の顔を知っている。 彼女の顔を整形したのが、あのBJだというのだ。 彼は一体どんな思いで、整形したのか。 どんな考えで、彼女を自分の母親の顔にしたのか。 蓮花は何も語らなかった。 ただ、じっと、思いつめたように天井を見詰める彼女は、 美しくもあり、恐ろしくもあった。 定期検診の為に、担当の若い医師が蓮花の病室を訪れる。 それは、いつものことであったし、それまで何らトラブルもおきていなかったのだから、その医師を責めるのは酷というものだろう。 それは、若い医師にとって、いつもの業務であった。 ドアを開けて最初に目に入ったのは、誰も寝ていないベッド。 気づくと、若い医師の首元に剃刀が、そして後ろ手に手首を掴まれる。 「な…!!」 「黙りなさい」 初めて聞いた、蓮花の声。 それは冷たく、美しい発声だった。 咽喉元に刃を突きつけられながら、医師は動きを封じられる。 それが、始まりだった。 若い医師から聞き出した病室のドアを静かに開ける。 手には拳銃。 途中、警備員らしき男性から奪ったものだった。 躊躇なく、蓮花はドアを開ける。 室内には、医師らしき白銀の長髪男と、幼い少女。 間違いない。そう確信した蓮花は、感情の昂ぶりのまま、醜く笑って見せた。 「なんの用だ」 男は蓮花の拳銃をみても動じることなく、尋ねてくる。 「あなたには用はないの。どいてちょうだい」 銃口を静かに二人へと向けた。だが、男は動じない。 男は静かに蓮花を見つめていた。 あの顔は見たことがあった。確か、何かに資料に載っていた顔だ。 この異常な事態でも、男は驚くことも無く、冷静に分析をする。 当然だ。男は死神の化身と呼ばれる、闇医者。 非合法な道を歩む彼にとって、拳銃を向けられることなど、珍しくも無い。 男の影になっていた少女は、入室してきた女性をみて、小さく息をのむ。 「知り合いか」 「…あの人…」少女は、死神を見上げた。「ちぇんちぇいの…お父さんのオクタン…」 「BJの母親か?」 「愛人よ」蓮花が答える。「影三の愛人。ブラック・ジャックが最も憎んでいる女よ」 「…なるほどね」 死神は皮肉に笑って見せた。 影三とは、確かBJの実父の名前。 ノアール・プロジェクトにおいて、人工臓器の天才と呼ばれた博士の名だ。 BJの実父は彼が大事故にあった時、彼と彼の母親を置き去りにして、そのプロジェクトに戻り、この女と再婚したと聞く。 本来であれば、BJが殺しても殺し足りない人間に違いない。 その人間が、今、ここでBJが庇護する少女に拳銃を向ける理由とは。 蓮花は男の表情に苛立った。 人を小馬鹿にしたような、笑み。 それは蓮花の神経を逆撫でるのには充分だった。 「気が変わったわ。貴方も死になさい!」 「気まぐれな女だな」 「喋らないで!」 ぱん!乾いた銃声が室内に響く。 びしい!音を立てて、二人の背後にある窓ガラスに、蜘蛛の巣のような罅が入った。 硝煙が蓮花の持つ拳銃から、静かに立ち昇る。 「そこをおどきなさい、あなたには関係がないでしょう!」 ヒステリックに喚く女を、死神は静かに見る。どこかに隙が生じないだろうか、と。 だがその行動が、その女を更に狂気へと導くことになったのは、ただの不可抗力だ。 「あなた…!」蓮花は僅かに眼を見開いた。「まさか、その髪の色…まさか、あなた、ドクタージョルジュの…!」 ぱん! 女は言い終わらないうちに、その拳銃の引き金を引いていた。 弾痕はまたも窓ガラスを貫く。 「似てる…そっくりよ!あなた、あなたはまた、私の邪魔をするのね!忌々しいッ!!」 きゅ…。と少女が死神の白衣を掴んだ。 怖いのかと見下ろす。が、少女の表情は怯えているわけではなかった。 窓ガラスを見詰めるその表情は、哀しいような、決心したような。 その瞳は静かに揺れている。大地を思わせる、その静かな瞳の色が。 「小娘をこちらによこしなさい」 先ほどとは打って変わって、蓮花の声は静かだった。だがその表情は。 「その前に」 死神は、立ち上がった。 銃口は自然と男の方に向けられる。 「動かないで!」 「理由ぐらい。言ったらどうだ」死神は言った。「ここの会話はBJにも聞こえている。…復讐か」 「ええ、そうよ!!」 美しい女であろう。だが、今は見る影も無く醜く歪んで、声を荒げた。 「あの男は、私から総てを奪ったわ!影三も、娘も、そして私の顔までもよ! 影三は…!影三は私のモノになったのに!あの男が生きているせいで、影三は私を愛さなかった! あの女と同じ瞳を持つ、あの女の、あの女の、子どものせいでよ!!」 あの女が死んで、影三は私を愛するしか道がなかった筈なのに。 あの女の、子どもが生きていた。 忘れ形見とも言える、影三にそっくりで、あの女に生き写しともいえる、最愛の一人息子が。 「あの男は私の大切なモノを奪ったわ!だから、同じ苦しみを味あわせてやるのよ!」 「激しいな」 死神の言葉に、蓮花はキッと男を睨む。「黙りなさい!」 「そうやって、銃口を突きつけながら、愛することを強要するのか」 白衣の袖を掴む少女の手を、死神はするりと放す。「人の命を奪ってまで手に入れた愛が、本物になると思えるとは、とんだ世間知らずのお嬢様だな」 「黙りなさい!!」 女の叫び声と同時に、死神は動いた。 銃声が響くが、その銃身を掴み挙げ、死神は蓮花の鳩尾に拳をめりこませる。 「…ぐあ…!」 力なく倒れる女の右手を後ろで掴み、奪った拳銃の撃鉄を死神はカチリと上げた。 「ロクター!」 「怪我はないな」 駆け寄る少女をちらりと見て、死神は銃口を女の目の前に向けた。 蓮花の息を呑む声が、響く。 「…まって、ロクター!」 少女は死神の傍に来た。そして、小さな手を伸ばす。「そえ…ちょうだい…」 「お嬢ちゃん?」 撃鉄をおろして、死神は拳銃を少女に差し出した。 その小さな手に渡される、拳銃。 ずしりと重く、鈍く光るそれは、その少女にはまったく似合わなかった。 少女は蓮花の前に座り込んだ。 そして、その拳銃を彼女に、差し出す。 静かに静かに、少女は蓮花に拳銃を差し出した。 「…蓮花さん…」少女は言った。「あたしは、ただの…ちぇんちぇいの助手なのよさ …蓮花さん、それでも、あたしがちんで…蓮花さんがちぇんちぇいを許してくえゆなや…それで蓮花さんの気が済むのなや…」 「…あなた…!」 目を見開いて、蓮花は少女を見た。 拳銃を差し出して、少女は静かに微笑んでいた。 それは見下している目ではない。哀れんでいる目ではない。 その瞳は、少女の大きな大地の色は。 「ロクター、はなちてあげて」 「何を言っているのか、分かっているのか」 ゆっくりとした口調で、死神は尋ねる。 こくん。少女は穏やかに頷いた。 「ロクターごめんなちゃい」そして、少女は蓮花を見る。「…どんな理由があっても…人の命を奪ゆことは、ゆるちゃれることじゃない… でも、だいちゅきな人がちんだや、かなちいのは…しってゆ…蓮花さん…本当に…影三さんのことがちゅきだったのよね…」 少女は銃口を自分の胸に当てた。 そして、蓮花の片手を、 「だかや、お願い。ちぇんちぇいをゆるちて…わすれてくだちゃい」 少女の言葉が、凛と響いた。 それは見下している瞳ではない。哀れんでいる瞳ではない。 その瞳は、少女の大地の色は。 それは、死を受け入れ、死を恐れず、死を覚悟した、 他人に自分の命を委ねて、摘み取られるのを待つ、最期の一呼吸の表情。 少女は微笑んでいたのだ。 なんて言葉を、なんて表情をする少女なのだろう。 震える。蓮花の手は震えていた。 何を躊躇する。 この小娘を殺し、間 黒男にこの同じ苦しみを。 愛する者を奪われた喪失感を。 辛辣な現実の苦痛を味あわせてやろう、と。 あの女の息子に、死んだ方がマシだと思えるほどの、精神的な苦しみを。 だが、この小娘は。 自分の命が惜しくはないのか。 何故、どうして。 こんな小娘が。そこまでの無償の愛情を捧げることができるのか。 ふと甦る、記憶。 思い出したくもない、永遠に封印してしまいたい、言葉。 そう、あの時。影三は呟くように、呼んだのだ。 一言。「…みお…」と。 「…影三…!」 鈍い音を立てて、拳銃が床へと落ちる。 死神の拘束がなくても、蓮花は動かなかった。 身体を、肩を大きく震わせ、そして、床にはぽたぽたと雫が零れ落ちていた。 「そうよ…私は、影三を愛していた…だけど…!影三は…一度だって、私に…!!」 一度だって、私に好意の言葉をかけてくれることはなかった。 いや、言葉だけなら何度かは。 でもその言葉が上辺だけなのは、気づいていた。 それは、あの女が忘れられないから。 あの一人息子が生きているから。 少女は、そっとハンカチで蓮花の涙に触れる。 優しく温かく、少女の仕草は自然だった。 「…許せなかったのよ…!」 「うん…」少女は優しく囁いた。「蓮花さんが…影三さんをちゅきだったのは…本当だったのよね…」 思いが伝わらない、苦しさ。 思いが返ってこない、辛さ。 そして、それは永遠に失われてしまった。 「愛する人がいなくなったら…だえでも、かなちくなるよね…つらいよね…」 拙い少女の言葉に、蓮花は縋りついた。 「…影三…!!」 そしてその泣き声は、少女の身体に押し付けられる。 それは天にまで届きそうな程の、大きくて、哀しげな、声だった。 警察関係者が、蓮花を連行する。 少女は、床からたちあがれず、座ったままだった。 事情聴取は、少女が病気治療中であることと、まだ(外見が)幼いということで、見送られることとなった。 その代わり、その場に居合わせた死神が、重要参考人として連れて行かれる事となる。 帰って、来れるかな? BJと違って、正規の医師免許を持っているとはいえ、闇医者。言ってみれば、犯罪者なのだ。 ボソッと呟いた死神の言葉に、少女は慌てて「じゃあ、ピノコも行く!!」 「お嬢ちゃんは、ここにいろ」苦笑しながら死神は「それに、今、警察にでも行っておかないと、俺は確実に殺されそうだしな」 「え、だえに?」 「そりゃあ…」 ちらりと背後を見遣る死神の視線の先には、黒と白の2トーンの髪、黄色の肌、それは見慣れていたはずの、 「ちぇんちぇい!」 少女の満面に笑顔が広がった。 だが、呼ばれた天才外科医の表情は、少女とは対照的に、苦虫を潰したような渋い顔。 「じゃあな」 すれ違いざまに声をかける死神に、天才外科医は、恐ろしいまでの眼力で睨みつける。 「戻ってきたら、覚えておけ」 「へいへい」 肩を竦めて、死神は廊下を後にする。 天才外科医の表情に、少女の笑顔は強張った。 それは彼がかなり怒っていることが、よく分かったからだ。 「あの…ちぇんちぇい…」 口を開いた瞬間、 ぱちん。少女の左頬に、鋭い痛みが走る。 打たれたのだ。そう理解するのに、数秒かかった。 天才外科医は無言で、自分が平手打ちした左頬を、自分の右手で包み込む。 そして、その視線を床へと落した。 「ピノコ」瞳を合わさずに、彼は口を開いた。「約束してくれ。これから何があっても、自分から命を差し出すような真似はしない、と」 「ちぇんちぇい…」 「約束してくれ、頼む」 俯く彼の表情はその前髪に遮られて、窺い知ることはできない。 ただ、その手が微かに震えていた。 神の手と賞される、天才外科医の右手が、少女の頬に触れながら。 「わかったよのさ…」 少女ははっきりと答えた。「約束する。ごめんなちゃい…ちぇんちぇい…」 「…いや…わかれば、いい」 そして、やっと天才外科医はその顔をあげて、少女をみた。 「久しぶりだな、ピノコ」 それは柔らかな、いつもの、彼の声。 彼の肉声。触れる温もりも、彼の体温。 「ちぇんちぇい…」くしゃりと少女の表情が歪む「…ちぇんちぇい…あいたかったよのさ!!」 いつものように、少女は彼に抱きついた。 いつものことなのに、それはとても懐かしくて、とても愛しかった。 少女の小さな身体をBJは抱きとめる。 胸の中でわんわん泣きじゃくる少女を、BJは優しく抱きしめた。 約束をしても、きっとこの少女は、また同じ事をするだろう。 少女の命で、敬愛する天才外科医の命が助かると言うのなら、彼女は躊躇うことなく、その小さな命を差し出すに違いない。 だから、頼むから、この誓いを破らないで。 お願いだから、約束を守ってほしい。 お願いだから、絶対に。 次頁