「…まあ、今日はこんなところです」
飄々とした声で、老人は、にかりと笑った。「最近は、緩和治療が流行っていますから、ダンナの商売も順調でしょう?」
人の好い笑顔で、さらりと黒い事を言う。
まるで商店街の店主同士の会話のようだ。
だが、ダンナと呼ばれた彼は、ちらりと老人を隻眼で睨むと、変わらず煙草を口元から離さない。
「余計なことでしたか」
やはり、老人は笑みを崩さずに「そうそう」と言葉を続ける。「T大学の脳外の先生について、面白い情報がありましたよ」
「……。」
彼は、やはり無言で、数十枚の札を無造作に老人に渡す。
それは、その情報を買おうという意思表示。
数十枚の札を受け取り、老人はやは人の好い笑顔で、言った。
「あの先生、偽名を使って、ネット通販をしているんですよ。まあ、自宅のパソコンらしいんですが、なんのプロテクトも暗号もかけてないので、
見る人間が見れば、すぐに分かるんですがね」
「ほう」
初めて、彼は声を出した。
それを聞き、老人は「内容は幼女趣味系の違法ポルノ。まあマスコミに売るのも手なんですが、あの家に手を出したら火傷するってのが、ワシらの間での常識で」
「……。」
「あの先生、なんでも例の無免許先生のところのお稚児ちゃんに、大層、惚れこんでいるそうですねえ。その違法ポルノってのが、
結構な趣味のモノで…あの先生はあのお稚児ちゃんを買う気なのか…。可愛いですからねえ、あのお稚児ちゃん」
「分かった」
短く、彼は答えた。
その口調。
「お喋りが過ぎましたね」
初めて老人の顔に、緊張が走った。
だが、それもすぐに掻き消える。
「これは、オマケです」老人は、ビニールに入った雑誌を差出した。「その先生が買ってる違法ポルノ。また、来月でいいですか?」
「ああ」
「では、これで」
 軽く会釈をして、老人は玄関から出て行った。
 静まり返る部屋で、彼は老人の置いていった雑誌を手にした。
 表紙は少女マンガのような、可愛らしい女の子のイラストが大きく描かれている。
 中身をペラペラと捲り、彼はすぐに眉を顰めた。
 絵柄は可愛いらしい少女漫画であった。だが、その内容は、見るに耐えない酷いもの。
幼い少女の性的な虐待シーンや、性的描写がこれでもか、というほどに連ねている。
こんなものを見て、興奮するという性癖を理解できない。
「…アイツが見たら、血を見るな…」
さきほどの老人に、口止めをするべきだったか、と、死神の化身は小さくため息をついた。



「ゆゆゆ、ゆるせん!!!」
その頃。死神の化身が数ページで見るのを止めた雑誌を、穴が開くほど読み込む医師がいた。
それは、先ほど話題にものぼっていたT大の脳外科の医師。
ドクター・ホワイトこと白拍子泰彦、その人であった。
 ページを連ねる、幼女の陵辱シーン。
特に、養父に性的虐待を受けるというストーリーの漫画を、彼は何度も読み返していた。
読み込むうちに、その養父の顔が無免許悪徳医に、そして養女の顔があの可愛い天使の少女に思えてきてならない。
「ぶぶぶ、ブラック・ジャックめ、あの子になんて事を!!」
養女が泣きながらも逆らうことが出来ずに、性的虐待を受ける場面で思わず叫ぶ。
「ここここんなことまで!!!あの変態め!貴様にあの子を育てる資格はないいいいい!!」
性的なシーンが出てくるたびに彼は叫ぶが、勿論これは想像の域であり、あの無免許医が少女に虐待を咥えている事実はまったくない。
「ダメだ!!」
すくっと立ち上がり、彼は握りこぶしを高らかに掲げて宣言した。
「あんな変態無免許医の家に、あの天使を置いておくのは危険だ!!私が引き取り、素晴らしいレディに育て上げるのだああ!!!」




 シチューと口に運んでいた少女は、ブルッと身体を震わせて、僅かに沈黙する。
「どうした」
そんな僅かな変化も見逃さず、天才外科医はスプーンを持つ手を止め、少女を見た。
「…なんか、ちょっと寒気がちただけ…」
えへっと笑う少女の額に、天才外科医はその手を重ね、そして襟元に手をつっこむ。
「ひゃあ!」
「熱は…なさそうだな」
「らいじょうぶらって!」
「気をつけろよ」
再びスプーンを持って食事を再開しようとした時だった。
玄関のドアが開く音がする。
そして、ずかずかと無遠慮に室内に入ってくる、足音。
「よ、ご飯時だったか」
「帰れ」
顔を除かせた隻眼の男に、天才外科医は鋭い殺気を叩きつける。
「あ、ロクターもたべゆ?」
「いいのかい?」
「ピノコ、こいつにはドックフードでたくさんだ」
 仏頂面の天才外科医の横に、死神は「連れないこと言うなよ」と笑いながら腰掛ける。
「お嬢ちゃんがせっかく作ってくれたディナーだ。笑顔で食べないと、罰が当たるぞ」
「そーそー」
あつあつのシチューを運んできながら、少女は可愛い笑顔で「ごはんは大勢でたべゆのが、一番おいちいのよ!」
「そーだ、そーだ」
「勝手にしろ」
 主が不機嫌なまま、夕食は再開された。
「おいしいな。お嬢ちゃんは本当にいいお嫁さんだよ」
「ちょう?あいがと!」
嬉しそうに笑う少女の笑顔が、本当に微笑ましいと思う。
思わず頭を撫でたくなるのだが、そんなことをしたらこの家の主に殺されかねないので、自粛する。
「ロクターが来てくえたから、チーズケーキ作るね!!」
少女は冷蔵庫の中から、ごそごそと材料をだしながら、にっこりと笑う。
「…ピノコ、そんなサービス、こいつには不要だ」
「俺は嬉しいよ、ありがとな、お嬢ちゃん」
「30分でできるから!リビングで待っててね!」
ニコニコ笑って、本当に嬉しそうだ。
ただ単に、自分が作るデザートを褒めてもらいたいのと、腕をみせたいからだろうが、
ここの主には、この少女の行動が、特別に思えてならない。
「そう、怒るなよ」
リビングに追い出された黒医者二人は、テレビの前のソファーに座る。
天才外科医は、押し黙って仏頂面。
「お嬢ちゃんが居ない方が、話やすいしな」
「…なんのことだ」
 死神は、内ポケットから紙片を取り、天才外科医に差し出した。
 不審そうな表情で、BJはそれを受け取り、広げて中身を見る。
「…なんだ、これ」
その中身は他人のパソコン内の情報に違いない。
保存してある画像やデータ名はもとより、ブックマーク登録されているサイト名、果ては詳細なURK履歴。
「…いつから死神先生はハッキングが趣味になったんだ」
「趣味じゃねえ。これは、わざわざ買った情報だ」
「何の為に」
眉根を顰めて、BJは尋ねる。
煙草の箱を出し、一本くわえると「それ、誰の個人情報だと思う」
「知るか」
「白拍子泰彦」死神は言った。「個人宅のものだ。その履歴をよく見てみろ」
煙草に火を点けると、死神は紫煙を燻らせた。
注意深く、データの名を見ると、BJの表情は益々険しくなる。
「…なんだこれ、あいつ、ロリコンか?」
データ名には、随分、卑猥な言葉が並んでいる。
それもロリータ趣味を窺わせるものばかりだ。
そして、天才外科医はあることに気付き、はっきりと顔色が変わった。
データ名から察するに、それは、もしかして。
「…キリコ」BJは言った。恐ろしく殺気の篭った声で。「…この『ロリコンドクターの診療カルテ』というサイトは、見たことがあるのか」
「…一応な」
「どんな内容だ」
ぎろり。音が出そうなほど鋭い視線が死神を射抜く。
「…お前が見ないほうがいい、内容さ」
「言え」
その声はまるで地獄から這い出た鬼のような、恐ろしい声。
天才外科医は、相当お怒りのようだった。
「そいつは、名前が変更できる官能小説サイトだ」
簡単に、死神は説明する。
しかし、それだけで十分だった。
何故なら、このサイトは名前が登録制で、その名前もばっちりこの紙片に記載されている。
「…なんで、この患児名がピノコなんだ!!」
叫ぶBJが予想通りで、死神は一先ず安堵する。
実は、この登録された名前を消さずに記載させていたのは、わざとなのだ。
その方が、コイツのショックと怒りも最小限にすむだろうという、死神の配慮からだった。
確かに、死神はこのサイトを見た。
そして絶句する。
何故なら、この官能小説の内容は、治療と称して猥褻行為をするドクターの話。
そして、その患児はその猥褻行為を自ら望みはじめて、乱れていくという内容。
さすがの死神も、胸糞の悪くなる内容であった。
こんなサイト、このある意味潔癖とも言える天才外科医が見た日には、どんな地獄絵図が繰り広げられるか。
「本気で気をつけたほうがいい、という忠告だ」
今言ったところで、のーみそに残るかな、と心配しながらも、死神は告げた。
「あのお坊ちゃんは、家裁方面でも動いている。『身寄りのない患児』を養育する権利は、お前よりも、あのお坊ちゃんの方にあると、な」
「こんなロリコンにか!?」
「世間はそうは思わん」と、死神。「あの、お坊ちゃんが本気になれば、厄介だな。外国にでも逃げるか?」
「ふざけるな!」
「ふざけちゃいないさ」
 視線が絡み合い、沈黙する。
 それは、嵐の前の静けさにも、よくにていた。

(続く?)
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