薄布のカーテンからは、容赦なく日差しが差し込んでくる。
 世の中は活動する時間帯であったが、自分には関係ない。
「名前?」
目が覚めてシャワーを浴びて部屋へと戻る。
それを待ち構えて、少年は「そう」と言った。「あんたの名前。聞いたら、やばい?」
「何故」
「サービス」彼は言った。「セックスの時に、呼んでやるよ。恋人みたいに」
「………。」
静かに見詰め返す。答えぬ死神に、少年は無邪気に笑いながら
「あんた、俺みたいな恋人がいるんじゃないの?俺、そいつに似てる?」
「………。」
「図星だろ」少年は言った。「俺も、さ。実はいるんだ、好きな人。
…あんたによく似てるよ」
相変わらずの笑顔だが、無邪気さが僅かに消えた。
そうか、よびたいのか。本当は。
「…キリコだ」
答える必要などないのに。思わず言葉が口から出た。
呼んでもらいたいのか、少年に、自分の名を。
「キリコ…か!いい名前だね」
少年は笑って抱きついてきた。黒い髪が視界を埋める。
「…キリコ…キスしたら、怒る?」
耳元で少年が囁いた。それは最早男娼のサービスというよりも、
ただ、甘えているだけのような。
 抱きつく少年を放して、口付けた。
 頭を押さえつけて、口腔内を乱暴に犯す。
彼はそんな蹂躙を受けていた、溢れる唾液を飲み込み、振るえる指でその白銀を掴む。
「…キリコ…」うっとりとした表情で少年は呟いた。「…キリコ…好きだよ…大好きだよ…」
ベッドに押し付け、少年の未熟な肌に貪りつく。
熱い吐息を散らせながら、少年は何度も名前を呼んだ。
違う。本当は、本当に呼びたい名前は、違うものだろう。
「…キリコ…いい…もっと…!」
その言葉に、重なる。
少年ではない、別の日本人の喘ぎ声。
今、自分は誰を抱いているの。誰を犯しているの。
君は誰に抱かれているの。
淫らで、醜悪で、不毛な性行為。
それでも止められないのは、止めることができないのは。
ああ、それでもいいのかもしれない。
どうせ手に入らない心を追いかけるぐらいなら、いっそ、この方が。

 二日目。
 眠る少年を置いて、死神は起き上った。
 それでも眠る彼は起きる気配はない。
 無防備に眠る少年を、静かにみた。
 まるで、安心しきっているかのような、その寝顔。
 それはまるで信頼しきっている子どものような。
 Yシャツを羽織り、ズボンを穿くと、死神は数枚の紙幣を少年の枕元に置き、
がたがたとドアを開けた。
 軽く頭を振って、煙草を一本咥えた。
 それに火を点けようとした時だった。
 ばん!
 荒々しくドアが開き、そして「キリコ!」
「…なんだ…」
「なんだよ、これ」
 少年の手に握られていたのは、先ほど枕元に置いた紙幣だった。
「精算にはまだ早いだろ!」
怒ったような口調で、少年は死神のポケットに紙幣をねじ込んだ。
「それとも」少年は言った。「…俺には、もう飽きたのか…」
それは怯えたような口調だった。
俯いたまま、顔をあげる勇気もないような。
「いや」煙草に火を点け、死神は「何か食べ物でも調達してくるつもりだった」
「俺も言ってもいい?」
 無邪気に腕を絡ませて、少年は笑った。
 振りほどくこともなく歩きだすと、少年は軽い足取りで歩調を合わせる。
 黒い髪に色のついた肌。白いYシャツに黒いズボン。
 腕に絡まる少し高めの体温が厭にリアルだった。
 
「優しいな…キリコは…」
ぽつりと、少年は呟くように言った。
精液と汗を二人分たっぷりと吸ったシーツの上。
それでも、裸で寄り添いながら寝ている姿は、恋人同士のようだった。
少年はその白銀の髪を弄びながら「あんたの恋人…羨ましいよ…きっと、
大切にしているんだろうな」
「………。」
「俺はねえ、俺の好きな人、教えてあげようか」
 少年は伸び上がって、寝そべる死神の両肩に手をついて覗き込んだ。
汗でぬれた黒髪が、彼の肌にへばりついている。
「…あんたによく似てる…」
少年は、死神の前髪を掻き揚げた。
ただ、静かに死神は少年の手を拒むこともなく、受け入れる。
「学者先生だよ」寂しそうに、少年は告げた。「なんかで来てたらしい。
…あんたみたいな銀髪で…あんたみたいな青い目だった…」
言葉が微かに、震える。それは苦しそうな音。
「…医者だとか言ってたよ。微生物の研究がどーとか言ってたな。
…俺には難しくて全然分からなかったけどな。」
白銀の前髪から、手を放した、そして、静かに死神の胸に頭をのせる。
「愛してる…って言われたんだ」少年は言った。「こんな俺に…愛してる…て。
だから、一緒に行こうって言われた。一緒に行って、一緒に住まないかって
…馬鹿な先生だと思わないか」
「…いや…」
短く答え、優しく黒い髪を撫でてやる。
少年は小さく震えた。震えた声で、続ける。「…だから、俺、最後だって日に、
先生とやったんだ。俺は先生と違う人種だって、思い知らせる為に。…驚いてたよ、
そんなことした事ないって顔してた」
「………。」
「でも、愛してるって…また言ってくれたんだ…あんな優しいセックス
…されたことなかった…俺は、俺は、あれ以来、あの先生とのセックスが忘れられない……」
「…何故、追いかけない」
 分り切った言葉を投げる。
 答えの分かり切った、その問いを。
「できるかよ!」顔をあげ、少年は睨みつける。涙を溜めたその顔で「あんなエライ先生に、
俺は……!俺は!無理なんだよ…!」
 静かに、静かに、瞳を濡らす涙は、彼の純粋な気持ちだろうか。
 その涙が、やはり重なる。日本人の彼の瞳に。
 涙を拭い、少年の唇に口付ける。
 まるで彼にそうするように。
「安楽死って奴は…」
呟くように、少年は言った。「楽に死ねるのか…そんな死に方もあるのか…」
「死にたいのか」
不毛な問い。死神にはふさわしい科白だろう。
少年はその手を伸ばして、死神の白銀に触れた。
慈しむように、まるで繊細な絹に触れるように、丁寧に、丁寧に、丁寧に。
「俺は生きていてはいけないんだ」
 涙に濡れる鳶色の瞳は、きらきらと輝いて宝飾品のよう。
 その瞳だけが、穢れていない少年の唯一つの純粋さのようで。
「先生は、天使だったんだ」
鳶色は真っすぐに死神の碧眼を見つめていた。
まるで、まるで、想い人を重ねあわせているように。
「俺みたいな…下水を啜って生きる俺に、夢の時間をくれた……俺なんかに…俺みたいな
人間に…先生は天使だったんだ。それなのに、俺はその天使を穢した。
犯したんだ。俺は、俺は…もう、生きていてはいけないんだよ」
 まるでお伽話を語るかのように、夢物語を紡ぐように、少年は言葉を繋いだ。
 その言葉は迷いがなかった。
 曇ることもなかった。
 そうやって、君は生きていたのか。
 その少年の黒い髪を、死神は軽く撫でてやった。
 彼が、こんな少年であったなら。
 ありえない仮定論を、死神は思う。
 彼は、彼には深層に刻み込まれた復讐心の為に生きてきた。
 だから強靭でありえたのだ。その許されぬ復讐者としての信念が、彼を貶めることなく
落ちることなく、今の天才外科医である彼を、造り上げたといえる。
 天使を求めることなく、死神を天使と思うことなく。
 彼が、こんな少年であったなら。
 自分はどうしただろうか。
 攫って連れて帰り、閉じ込めてしまうのだろうか。
「…キリコが死神だっていうのは、嘘みたいだ…」
もう一つの手を伸ばし、少年は死神の頭を、いや、その白銀の髪をかき抱き、うっとりと
顔を埋める。
「だって、こんなにも温かいし…優しい…」
まるで幼子が母を求めるかの様な仕草だった。
 あんたに会えて、よかった。
 少年は小さく呟いた。
 それは、まるで夢の中で囁いているような、儚い音。


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