部屋に戻ると、外からボディーガードの男にドアをロックされる。
 完全に支配、管理された行動。
 それでも、今日は一人なだけマシだった。
 重い身体を引きずるようにして、影三はバスルームへと向かう。
 だが。
「今日は、早いんだな」
暗闇からの声に、身体がぎくりと強張った。
窓辺のデスクの椅子に座る男。
豊満な体を僅かに揺らしながら立ち上がり、その厚い唇をイヤラシク歪めている。
「…全…満徳…」
絶望的な色を、影三は隠せなかった。
一度安堵した身体は、力が抜けてしまったかのように、動かせない。
「ああ、いい表情だ。影三」
その太い指が彼の頬を撫でた。
「大丈夫だ」優しく満徳は語りかける。「明日は大事な発表だ、そんなに酷いことはしないよ。
ただ…」
言葉を切り、その指が彼の細い首にかけられる。
「蓮花が嘆いていたよ」
その声は、不気味な程に優しい。「お前は、蓮花に子どもができてから、一度も抱いてないそうだね」
「…初産は、刺激を避けた方がいいのは…常識だ」
「何回、蓮花を抱いた?」
「…そんなもの、いちいち数えていない!」
「まだ2回程だと、蓮花は泣いていたよ、可哀想に」
 なんて会話だ。これが娘を可愛がる父親の言葉なのだろうか。
「反省が必要だな、影三」
これが娘を可愛がる父親の言葉だろうか。
全満徳は、確かに、蓮花を華ように可愛がっていた。
だが。
 引きずるように、バスルームへと連れてこられ、服を脱ぐように命令された。
 のろのろと、影三は全満徳の前で衣服を脱いでいく。
 その無遠慮な視線に嫌悪感を抱きながらも、その指示には逆らえなかった。
 総ての衣服を脱いだところで、自慰をするように告げられる。
 強張る、意識。
「どうした、今更、恥ずかしがることもないだろう」
全裸の影三を値踏みするように、眺める満徳の衣服は一つも乱れては居ない。
のろのろと、影三は、自分の性器を掴むと、歯を食いしばって手を動かし始めた。
早く終わればいい。
早く済ませればいい。
肉体的な苦痛も、反吐を吐きそうな性行為も、精神を蝕むその言葉も、
総ては過ぎ去るもの。
歯を食いしばり、黙って耐えて、その命令に従ってさえいれば。
そう、総ては守り抜く為に。
そのためだったら、何も惜しくは無い。
惜しいものなど、ありはしない。
「何を考えている?」
 言葉と共に、風を切る高域音が耳を掠めたかと思うと、影三の身体が吹っ飛んだ。
 そして冷たいタイルの上に身体を強く打ち付ける。
だが、それよりも、彼の胸には一線、斜めにナイフで切りつけられたかのような、
綺麗な赤い切り傷が、血液を滴らせる。
満徳の手には、彼が好んで使う鞭が握られていた。
その細いワイヤーは、SMで使用するモノとは違い、熟練者が使用すれば
一振りで生命を絶つことさえできる。
「ちゃんと、蓮花のことだろうね?」
倒れた彼の肩を踏みつけ、満徳は彼の顔を覗き込む。
背中にあたる、冷たいタイルの感触が、意識をはっきりと覚醒させる。
「それとも、他の男のことか?」
 足をどかし、満徳は影三の、その細い首に手をかけた。
ゆっくりと、ゆっくりと、確実にその手は力をこめられてゆく。
「お前は女を抱くよりも男に犯される方が好きそうだな」
食い込む指。しかし、それにあがらうほどの力も、ほとんどなかった。
ただ絞められる首に食い込む指と、苦しくなる呼吸を、朦朧とする意識の中、
まるで他人事のように感じていた。
「…蓮花も、日本人のドコがいいのだろうな」
吐き捨てるように呟く言葉。「お前を見た時の蓮花のはしゃぎ様と言ったら、
まるで、少女のようだったよ。…お前が逃げ出すまではな」
 白む意識の中、落ちそうになった瞬間に満徳は手を放す。
 大きく咳き込み、影三は思わず起き上がった。
「一つ、良い事を教えよう、影三」
咳き込む影三に、彼は何かを差し出した。
それは新聞記事の切り取り。

「お前の息子は死んだよ。本間血腫でな」

言葉が、ゆっくりと落ちて、音を立てて砕け散る。
何を言われたのか、正確に理解できない。
オマエノムスコハシンダヨ?
「嘘だ!!」
切り取られた小さな新聞記事を引ったくり、影三はそれを眺める。
その小さな記事には、身寄りの無い患児がとある基金で
人工心臓を、影三が開発したヒュドラ型人口心臓を移植され、
本間血腫で死んだという、簡単なものだった。
「黒男は死んだんだよ、影三」
「これは…これだけでは…この患児が黒男だという証拠は………!!」
 脆く崩れ去る、音。
「…くろお…は…」
 身体の震えが止まらない。
 あの、あの幼い生命は、もうこの世にいないというのか。
 自分が開発した、不完全な人工心臓のせいで。
「お前が殺したんだ、影三」
 言葉が刃となり、己を貫く。
 歪む世界。
 お前が、殺したんだ。
 俺が、殺したのだ。
 俺が殺した、あの愛しい、幼い生命を。

 それじゃあ俺は、何のために?
 俺は、何故、生きている。



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