CORPUS DELICTI

 そこは、風光明媚という言葉が似合いすぎるほどの、小さな田舎町であった。
 駅周辺の商業地区は、店の軒先に並ぶ色とりどりの商品の山がこの辺の流通の豊かさを物語っている。
 人々が愛想よく声をかけてくるのは、商売人というよりも、この風土の人の好さからだろう。
 なんにせよ、この活気溢れる美しい街が、猟奇殺人の舞台であるとは、俄かに信じ難かった。




■ 3 ■




 街の中を走る二つの大通りは、それぞれがテムズ川方面と、山岳方面へと分かれているため、正式な名称ではなく、テムズst.マウンテンst.と呼ばれていた。
 そのテムズストリート方面は、警察署や裁判所などの厳つい公共機関が、鈍い色の壁をそろえて、聳え立っていた。
「ヤードの警部がわざわざいらしてくれるなんて、驚きですねえ」
 遺体の司法解剖を担う法医学教室に、レストレードを筆頭とする三人は訪れていた。
 ホルマリンの甘い臭いのただようそこにいた監察医は、櫛を滅多にいれないと思われる乱れた頭髪と、あまり似合っていない鼻眼鏡のせいで、年齢が不詳であった。
 だが
「随分とお若いのに、R大学の教授とは、優秀なのですね」
 握手をしながら不適に笑う探偵の言葉に、監察医は目を大きく見開き、そしてみるみる表情を綻ばせた。
「ああ…確かに私は仰るとおり、R大学にて教鞭を…すごい、著作の通りなのですね!」
「著作は、私ではなく、ドクター・ワトソンのものです」
「ええ、実は、私は貴方の活躍劇が大好きでしてね!ああ、それを目の前で披露して戴けるなんて、夢のようだ!」
 大袈裟なほどの感激の様に、探偵は苦笑しながらチラリと医者の方を見た。
 その視線を、監察医は敏感に追い、そしてワトソン医師の存在に改めて気付いたようだ。
「あ、それでは…もしかして君は…!」
 監察医は、ぽん!と手を打って大声をあげた。「イレギュラーズのウィギンス君かッ!今日はワトソン博士の代理かい?いやあ、なんともあの著作のイメージどおりじゃないか!!」
------探偵と警部が、笑いを堪えるに苦労したのは、言うまでもない。
「期待を裏切って申し訳ないのですが」
 医師はにっこりと笑って言った。最早、今更、どうとでもなのだ。
「僕が、ドクター・ジョン・H・ワトソンです。挿絵とは似ても似つかない容貌で、誠に申し訳ありません」
「え、あ、それは、失礼をしました」
 監察医は慌てて、改めて握手を求めてくる。「いやあ、お若い!…その、失礼。著作には退役軍医とありましたので、少しイメージが…」
「よく言われます」
「ドクター」
探偵が痺れを切らしたように、少し苛立った口調で言った。「そろそろ、解剖所見と、昨日の遺体を拝見させてください。時間は、無駄にできませんので」
「え、あ、はい、そうでしたね」
 雑談の時の笑顔から一変、監察医は表情を引き締めて、暗く難しい顔になる。
「まったく残酷な事件ですよ」
 地下へと続く暗い石階段を降りながら、監察医は説明をする。「ここに勤めて、初めてですよ。こんな毎日解剖をさせられるのは。それも、マトモな遺体はほとんどくて、内臓か性器か…どこかが必ず欠けている。まるでロンドンのジャック・ザ・リッパーの再来のようですよ」
「そうだとしたら、随分と勤勉な切り裂き魔だな」と、警部。「手口は異なるが」
「単独犯かね」と、探偵。
「ええ、そう見ております」
 暗い地下倉庫。その石壁をくりぬいた形で拵えた書類棚から、複数の封筒を監察医は手渡した。「凶器は、鋭利な肉切り包丁と、と殺用の斧の二種類。先ずは足を潰し、動けなくしてから、滅多刺しにしたり、臓器を抉りとったりしているようです」
「…惨い事を…」
 遺体の解剖所見をまわし見ながら、警部がしかめっ面で呟く。
 医師も、苦虫を噛み潰したような表情で、それらを眺めていた。
 なにせ、書類の数が多いのだ。斜め読みしながらも、その遺体の多さと、その残酷さに目を覆いたくなる。
 そのなかでも、探偵はジッと微動だにせず、所見を読みふけっていた。
 冷静に分析しているであろう彼の表情は、それが生命を亡くした肉体の所見であることを、敢えて忘れ去り、人形かなにかの分析報告を眺めているかのようだ。
「…ほぼ、同じ傷なのですね」
 探偵の言葉に、監察医は「そうです」と答える。「両大腿、両腱、頚部、左胸部、腹部を縦に一直線、そして下腹部、性器」
「では、今回の犠牲者も?」
「ほぼ、その通りです。この7箇所のうち、どこかの臓器が失われている」
「間違いなく、精神に異常をきたしているね」
 警部の言葉に、医師も軽く頷いた。
   遺体を毎回、同じ手順で切り裂くなど、正常な神経とも思えない。
「ここいある遺体は、昨日のものだけですか」
 探偵の冷静な言葉に、警部は頷く。「ええ、他のは焼却してしまいました」
「焼却!?」
 その言葉には、全員が聊かおどろいた。
 まだ半月ほどしかたっていない、重要な証拠の塊ともいえる遺体を、よりにもよって焼いてしまうなど。
 だが監察医は飄々とした口調で「仕方がないのですよ」と笑う。「住民が怖がっているんですよ。”吸血鬼に襲われる”ってね。意外と迷信を信じる方が多くてねえ…それで、ここの領主様が、吸血鬼に襲われた人間は使役者になるというから、甦らぬように火葬しなさい。と、鶴の一声」
「…それにしたって…」
「随分と、住民思いなのですね」
 医師の言葉を遮り、探偵は鋭く尋ねた。「ふむ、では…ここに今ある遺体も焼却される運命にあると?」
「ええ、明日の昼には」
「そりゃ大変だ。ワトソン君、早く彼が灰になってしまう前に、顔を見にいかなければならないよ」
 探偵は医師の手首を掴んで、石壁の奥、行き止まりを支える木のドアのノブを掴んだ。
 そして、ガチャリと大きな音を立ててドアを開ける刹那、素早く、医師の耳に言葉を吹き込む。

「傷跡を、よく見てくれたまえ。医師の目で」
と。